はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

萩の寺を訪ねて (東光院)

2015-09-19 17:01:33 | 花めぐり
秋を探しに東光院を訪れました。



東光院は大阪の豊中市にあります。阪急曽根駅から5分ほどのところです。



住宅地の中にあるお寺ですが、中に入ってしまえば街の中にあることを感じさせません。



ちょうど今日から「萩まつり道了祭」が開かれていました。



このお寺には正岡子規も訪れたことがあるようで、子規の句碑もありました。



「ほろほろと 石にこぼれぬ 萩の露」と詠んでいます。



そんな関係もあってか、今日は俳句の集いも行われていました。



私も一句ひねればよかったのですが、うかばないので、写真でご勘弁ください。



萩も見頃で、こぢんまりとした、いいお寺でした。



秋ですね。

今、忌野清志郎のこと

2015-09-18 20:19:36 | 本の話
私が大好きなミュージシャンに忌野清志郎がいます。正確には「いました。」です。2009年に58歳で亡くなっちまったんですが…。
日本の「キング・オブ・ロック」と言われた忌野清志郎が、10年以上も前にこんなことを書いています。

<日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ>
「地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。阪神大震災から5年。(略)
この国は何をやってるんだ。復興資金は大手ゼネコンに流れ、神戸の土建屋は自己破産を申請する。これが日本だ。私の国だ。とっくの昔に死んだ有名だった映画スターの兄ですと言って返り咲いた政治家。弟はドラムを叩くシーンで僕はロックン・ロールじゃありませんと自白している。政治家は反米主義に拍車がかかり、もう後もどりできやしない。そのうち、リズム&ブルースもロックも禁止されるだろう。政治家はみんな防衛庁が大好きらしい。人を助けるとか世界を平和にするとか言って実は軍隊を動かして世界を征服したい。(略)
いったいこの国は何なんだ。俺が生まれて育ったこの国のことだ。君が生まれて育ったこの国のことだよ。どーだろう、…この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか?戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ。」


まるでリアルタイムで清志郎が言っているようです。

『瀕死の双六問屋』忌野清志郎著(小学館文庫)より。(もともとは、2000年に光進社から単行本で発売されCDもついていたそうです。)



さあ、「くたばっちまう前に 旅に出よう もしかしたら君にも会えるね」かも知れませんね。(忌野清志郎『JUMP』より)

司馬遼太郎記念館のこと

2015-09-15 19:59:07 | 大阪のまちをぶらり
司馬遼太郎記念館を訪問しました。
記念館は、大阪ならどこにでもあるような、ごちゃごちゃとした街の一角にあります。しかし、そこだけが、別世界のような佇まいで建っています。
(記念館の玄関)

お庭を進むと、書斎があります。ここで数々の名作を書いていたのですね。そして、執筆に疲れるとソファーでお庭を眺めながら休憩をしたのでしょう。きっと大好きな煙草をふかしながら。
(ゆったりとした書斎です)
書斎から眺めるお庭は、司馬遼太郎が好きだった雑木林のイメージでつくられているそうです。司馬遼太郎の視線でお庭を眺めて見ました。
(書斎の前から眺めるお庭)

お庭を抜けると、安藤忠雄設計の建物です。
(いかにも安藤忠雄の設計です)
中に入ると、目に飛び込んでくる、高さ11メートルの壁面いっぱいの書棚に圧倒されます。資料・自著・翻訳など2万冊の蔵書が展示してあるとのことです。(残念ながら館内の撮影は禁止でしたが、ネットで調べると、その書棚が出ています)
趣味が「資料を読みあさること」という司馬さんらしい逸話も聞きました。『龍馬がゆく』を執筆した時、神田の古本屋から資料を買い集めたので(3千冊で1トンもあったそうです)そのため、幕末関係の本が無くなったそうです。
あとは、展示ケースとホール(10分ほどの司馬遼太郎に関する映像を上映)とロビー(グッズや書籍の販売)だけでしたが、パンフレットに書かれているように、ここは「来館者がそれぞれに何かを感じ取ってくださることを願う、いわば『感じる記念館』です」とあるように、感じることが大切な空間なのです。

印象的だったのは、ホールで見た映像です。司馬遼太郎は学徒出陣で満州の戦車隊に配属されますが、22歳の時に栃木の佐野で終戦を迎えます。その時に司馬遼太郎は「なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう?いつから日本人はこんな馬鹿になったんだろう?」と疑問を持ち、「昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として「22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐しているところでした。
最期まで、この国の行く末を案じていた司馬遼太郎らしい話です。
 

ずっと行きたかった司馬遼太郎記念館ですが、やっと行くことが出来て司馬遼太郎が近い存在になったような気持ちがしました。

ところで、司馬遼太郎さんの作品は好きなものはたくさんありますが、私の愛読書はやはり『街道をゆく』です。各地を旅行するときにもガイドブックのつもりで持っていきます。43巻の『濃尾参洲記』が絶筆になってしまいましたが、1巻、昭和46年発行の本も持っています。ちょっと自慢してしまいました。








常高寺と浅井三姉妹 (福井県小浜市)

2015-09-13 22:00:42 | 寺社めぐり
福井県小浜市にある常高寺を訪れました。この寺は、お初の発願によって建立されたお寺です。お初という人は、2011年のNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で一躍有名になった、浅井三姉妹(茶々・初・江)の次女にあたります。
 
少し歴史のお勉強になりますが:三姉妹の母親は、あの織田信長の妹のお市の方です。お市は、近江の小谷城主浅井長政に嫁ぎ、三人の娘をもうけました。お初が6歳の時、父長政は織田信長に滅ぼされます。(姉妹には、男の兄弟もいましたが殺されいます)その後、お初が15歳の時、柴田勝家に再婚したお市の方に伴われて越前に赴いたのもつかの間、またもや勝家は秀吉に滅ぼされてしまいます。母親のお市の方も勝家とともに自害します。その後、秀吉に引き取られて成人し、お初20歳の時、京極高次に嫁ぎました。
 
他の姉妹はというと、長女の茶々はご存知のように秀吉の妻(淀君)になり、秀頼を生みます。末っ子の江は、徳川家康の息子秀忠に嫁ぎ、三代将軍の家光を生みます。このように波瀾万丈の三姉妹ですが、まだまだ歴史の試練がつづきます。
 
秀吉の死後、関ヶ原の戦いがおこり、お初の夫京極高次は、徳川方に付き、姉の淀君とは敵という関係になります。ともあれ、高次は合戦の功により若狭8万5千石を与えられて小浜藩主になります。(やっと、小浜との関係がわかりました)お初が42歳の時、高次が亡くなり、お初は剃髪して常高院と称しました。(常高寺の名前の由来もわかりました)

しかし、まだ終わりません。次は大阪冬の陣・夏の陣がおこります。お初は姉の淀君・秀頼を救わんと、家康の命で大阪城に乗り込み和議の交渉にあたりますが、その甲斐もなく大阪城は落城します。
晩年、夫の菩提を弔い、父母の供養のために建立したのがこのお寺ということです。:以上、歴史のお勉強でした。
 
明治以降、寺は衰運に向かい、大正12年には本堂も焼けたそうですが、近年になり、次第に盛り返してきたということだそうです。

信長・秀吉・家康らと同時代を生きたお初の発願によって建立された常高寺、このお寺は、上記のような歴史をふまえて訪問すると、いっそう感慨深いものとなるのではないでしょうか。
撮影不可でしたが、狩野派のふすま絵もすばらしかったです。


せっかく小浜に来たのだから、おいしい物を食べましょう。食べログで調べると「こだま食堂」のソースカツ丼がおいしいということなので行ってみました。名物はわらじサイズのカツだったのですが売り切れていて、普通のソースカツ丼と120円プラスで越前そばが付くので、セットで注文しました。(これって、どちらも福井県の名物ですよね)

普通のカツでも十分に大きいです!そして、おいしい!これで990円安い!満腹になりました。

蘇洞門めぐりの船着き場の近くです。



鞍馬~貴船を歩いてきました その2

2015-09-12 08:25:58 | 山歩き
義経堂あたりからが、このコースのハイライト「木の根道」です。

岩盤が固いために、地下に根を張れない杉の根が模様を描いています。ここで牛若丸が兵法の稽古をした場所だそうです。そういえば、本堂への参道もそうでしたが、毎日こんな所を行き来しているだけで、筋トレになったと思います。だから、「八艘飛び」も出来たんでしょう。
もう1枚「木の根道」です。


そうしているうちに「奥の院 魔王殿」に着きました。お寺のパンフレットによると、「650万年前、金星より地球の霊王として天降り地上の創造と破壊を司る護法魔王尊が泰安される」とあります。よくわかりませんが、めっちゃスケールのでかい話ですね。

魔王殿をすぎると、どんどん下っていきます。途中の杉林はすばらしかったです。

そして、貴船にある西門に到着です。(こちら側にも関所があります)仁王門からゆっくり歩いても2時間もかからないコースでした。


せっかくなので、貴船神社にも参拝です。詳しくは書きませんが、貴船神社もかなり歴史の古い神社のようです。

さすがに、たくさんの人がお参りに来ていました。(まだ紅葉シーズンではありませんが、紅葉の頃はきれいだろうと思います))

階段の先に本殿があります。水の神様です。(有名な水占いもありましたよ)そういえば、この貴船川も淀川の源流です。

貴船と言えば、川床が有名ですね。確かに涼しそうです。でも、お値段が…。コンビニで買った、おにぎりでがまんしました。


貴船川に沿って歩いていると、きれいな花が咲いていました。パチリ!よく見ると「玉ボケ」が出来ているではありませんか。(カメラはオリンパス スタイラス1Sです)


北山杉?も美しい。

ここからバスで貴船口に向かいました。10分ほどで叡電「貴船口」駅です。(2キロほどなので歩いてもいいですが、道路が狭いところに車がビュンビュン走っていて危険です)



おまけ:叡電(えいでん)のヘッドマークに「全国登山鉄道%(パーミル)会」と書いてあるのを見て嬉しくなりました。パーミルというのは、鉄道の勾配の程度を示す単位です。(例えば30パーミルなら、1000メートル進むうちに40メートル上るということです。)
他には、南海・神戸電鉄・富士急・箱根登山鉄道・大井川鉄道などが参加しています。
ハイキングの話が、最後は「鉄」の話題になってしまいましたね。