はりさんの旅日記

気分は芭蕉か司馬遼太郎。時々、宮本常一。まあぼちぼちいこか。
     

淀川散歩(初冬の気配)

2015-12-20 20:35:39 | 淀川散歩
今年の冬は暖冬で、暖かい日々が続いていましたが、やっと昨日あたりから冬らしくなってきたようです。

新しいレンズで淀川の冬の気配を写してみました。タムロン70ー300です。(キヤノンレンズには手が出ません)望遠ズームの世界ははじめてなので、使い方はこれから勉強です。
 (はじめての1枚)

 (梅田のビル群もボケました)

 (光芒、天使の梯子、薄明光線…)

 (いつもの赤川鉄橋)

 (夕日を受けるレガッタ)

12月19日(土)午後4時の淀川は寒かったです。冷えたので、夜はもちろん熱燗と鍋でした。






近鉄南大阪線はおもしろい

2015-12-18 15:12:30 | 鉄道の旅
近鉄電車(近畿日本鉄道)といえば、大阪と奈良、吉野、伊勢、名古屋を結ぶ、日本一の路線規模を誇る私鉄です。
 (大阪阿部野橋駅の近鉄電車)

先日、古市古墳群を訪れましたが、そこに行くには近鉄南大阪線を利用しました。南大阪線は大阪阿部野橋駅が始発駅です。
 (阿倍野橋駅はあべのハルカスの中にあります)

その時に、なにげなく線路を見ていて気付いたのですが、南大阪線のレール幅は狭いのです。狭いと言うか、JRと同じ幅なのです。たしか、他の近鉄路線は、新幹線と同じ広い幅だったのにと不思議に思いました。

もうひとつ、南大阪線のおもしろいと思ったことは、古市古墳群を通っているだけに、古墳を避けるようにカーブしながらレールが敷かれていることです。
 (正面の仲津山古墳を避けて左にカーブ)

そして、道明寺駅と古市駅では、本線である南大阪線が大きくカーブしているのに対し、支線である道明寺線や長野線がまっすぐに走っているのです。
 (道明寺駅手前のカーブ)
 (道明寺・古市付近の南大阪線:赤色)


さっそく家に帰って調べて見ました。(『鉄道地図は謎だらけ』所澤秀樹著(光文社新書)を参考にさせてもらいました。)
それで分かったのですが、柏原から富田林間は河陽鉄道としてもともと路線があったそうです。後に大阪鉄道が、都心に乗り入れる必要から阿部野橋からの路線をつくり、また、橿原神宮へと路線を伸ばした結果、こんなカーブができたとのことです。(簡単に書けばこういうことですが、実は複雑な歴史的経緯もあったようです)
そんな理由でレール幅が狭かったり、カーブが多かったりした訳です。

鉄道のカーブにも歴史があったのですね。
 (金剛山をバックに石川の鉄橋を渡る南大阪線)

飛鳥カメラ散歩(その3)

2015-12-16 22:22:54 | カメラ紀行
飛鳥資料館までやってきました。ここの庭園には、飛鳥時代の猿石や石人像などが並べられています。(ただしレプリカです)
 (猿石)

 (猿石)

 (石人像)

 (石人像)

 (落ち葉)


冬至が近づくと、日が傾くのも早くなります。甘樫丘も薄暮の雰囲気です。少し急がないと日が暮れてしまいそうです。水落遺跡のあたりにやってきました。


犬養孝『万葉の旅』、<甘樫丘より>には、「明日香川 川淀去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに ー山部赤人ー」という万葉歌と、「山部赤人は平城京から古都を慕って神岡(雷丘)にあがり、古都への賛美と思慕の思いを長歌及び反歌一首にあらわした。赤人には天武・持統のむかしがひとしおにしのばれているのであろう。飛鳥川の霧のように消えてなくなるような古都への思慕ではないのだという赤人の眼には、川淀に立つ霧さえも古都への夢が託されていたのであろう。」という文章が綴られています。






今回の飛鳥カメラ散歩はここまでです。古代史のロマンに満ちた飛鳥の地をゆっくりとめぐることが出来ました。できるだけ飛鳥のイメージを表現したいと思ったのですが、少しは伝わったでしょうか?


※飛鳥のおみやげは、柿の葉すしです。飛鳥を訪れたら必ず寄っています。飛鳥資料館の横にある「山の辺」というお店です。






飛鳥カメラ散歩(その2)

2015-12-15 21:43:00 | カメラ紀行
今回は、伝板蓋宮跡から歩きます。
板蓋宮(いたぶきのみや)は、643年に皇極天皇が遷都した飛鳥ではじめての宮です。645年には、ここを舞台とした歴史的事件が起こります。乙巳の乱(大化の改新)です。中大兄皇子と中臣鎌足によって、蘇我入鹿が暗殺された歴史の舞台です。その後、壬申の乱に勝利した天武天皇が、飛鳥浄御原宮を開いたのも、この地とされています。

血なまぐさい歴史の舞台も、今はのどかな田園風景です。
そこには、ただ風が吹いているだけ♪








万葉歌より「采女の袖 吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く ー志紀皇子ー」<采女の袖を吹きひるがえす明日香風、今は都も遠く、空しく吹くことよ。>







遠くに飛鳥寺の屋根が望まれます。飛鳥の宮が華やかだった頃は、このあたりはどんな風景だったのでしょうか?

犬養孝は『万葉の旅』飛鳥浄御原宮のページに「地は真神の原の一部にあたり、東方に八釣山、遠くに三輪山を望み、真北の香具山との間には広大な田畑がひろがり、西北ま近くに雷の小丘があって眺望がたいへんよい。いまここに立てば、飛鳥風がびょうびょうと田畑を吹くのみであるが…。」と書いています。

飛鳥川のほとりに、訪れる人もないお堂がありました。中には弥勒石が祀られています。地蔵菩薩のようですが…。下半身の病気が治るという伝説があり、わらじがたくさん吊されていました。







飛鳥には、歴史の風が吹いているようです。
次回は、飛鳥資料館の猿石です。

飛鳥カメラ散歩(その1)

2015-12-14 21:41:02 | カメラ紀行
初冬の飛鳥をカメラ片手に歩きました。(気分は、入江泰吉ですが…)今回は、甘樫岡から伝板蓋宮跡周辺と飛鳥資料館を歩きました。この時期は訪れる人も少なく、静かな飛鳥を味わうことが出来ました。
飛鳥は万葉歌が似合うところでもあります。犬養孝の気分で万葉歌も詠んでみました。(歩いたのは12月12日です)

甘樫岡から車の通らない地道を川原寺に向かって歩いていきました。やがて、弘福寺が見えてきます。弘福寺は川原寺の金堂跡に建てられています。川原寺は、かつては飛鳥寺などと並ぶ大寺院だったそうです。今は、礎石のみが往時を偲ばせます。
 (弘福寺)

 (弘福寺)

 (川原寺跡)

川原寺の前には、道路をはさんで橘寺があります。桜の頃に訪ねた時には、多くの参拝者があり駐車場に入る車が渋滞していました。今日はひっそりと初冬の空気の中に佇んでいました。
 (橘寺)

 (橘寺)

犬養孝著『万葉の旅』に橘寺のページがあります。 そこには「橘の 寺の長屋に わが率宿し うなゐ放りは 髪上げつらむか ー作者未詳ー」という万葉歌があげられています。

橘寺は聖徳太子誕生の地と伝えられています。聖徳太子は、飛鳥時代の始まりとなった推古天皇の摂政として活躍した人物です。仏教をめぐって、蘇我氏と物部氏の争いがあったのもこの頃のことです。
そんな時代を感じながら古い道を歩きます。
 (道端の石仏)

橘寺の近くには飛鳥川が流れています。万葉びとは、この川をたくさんうたっています。
「明日香川 瀬々の玉藻の うちなびく 心は妹に 寄りにけるかも ー作者不詳ー」<明日香川の瀬という瀬に生い茂って靡いている玉藻のように 私の心はただひたすら お前に靡き寄ってしまったよ>
 (明日香川)

歩き疲れたころ、ちょうど喫茶店がありました。素敵なお庭を見ながらおいしいコーヒーをいただきました。(散歩というお店でした)その庭の先は、伝板蓋宮跡へとつづいていました。







次回は、伝板蓋宮跡周辺あたりを歩きます。