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「お母さん、キンモクセイが咲いてるぞ、気がついたか」。「ほんとう? あら、いつの間にぃ…」。これが毎年くり返される2人の会話。嗅覚に特に異常があるわけでもないのに、夫に言われるまで、あの大好きな香りに気づかない鈍感な私。いつも教えてくれた夫が居ない今は、花が散り始める頃やっと気づく。「相変わらずの蛍光灯だなー」と夫は笑っているんだろうなあ。
今年は義母が旅立って10年。告別式が終わって帰ってきた黄昏時、庭全体が黄色の絨毯になり本当に美しかっ光景を思い出す。その日から義母の花は「キンモクセイ」になった。
軽い認知症気味の義母との生活はいろいろあった。昔の記憶は鮮明に残っているので、私はとっくに亡くなったお母さんやお姉さんになりきって、母の話に合わせて演技した。ところが話の途中で急に現実に戻った義母に「あなたは○○子さんでしょ」と怪訝な顔をされ、慌てたこともあったなあ。
一方、夫の花は「ピンクの萩」。12年前、夫のメモリアルツアーでスイスに行ったとき、長旅の疲れと寂しさで重い足を引きずりながらたどり着いた我が家、門を開けると満開の萩が出迎えてくれた。思わず頬ずりしたくなるように、いとおしかった。そして夫の花になった。
山男の最期の願いは、「俺の骨はスイスのグリンジゼーに葬ってくれ」だった。家族で初めて訪れたスイスは本当に美しい国だった。夫が短い期間に2回も旅した気持ちがその時やっと理解できた。逆さマッターホルンが湖面に映る小さな湖の畔に彼は眠る。そしてこの旅が彼の最後のプレゼントだったように思う。
実は彼の思い出の花はもう一つある。最期の枕べを飾った「白紫陽花」。うっとうしい梅雨の時季は、爽やかな「白紫陽花」、そして秋は真っ青な空に映える「ピンクの萩」。
「両方ともあなたにふさわしいよ! 来年はあなたの萩をもっと元気に咲かせるからね」。