南国から北国札幌就職への旅路は今も心に残る良き思い出である。昭和43年春、当時飛行機は庶民にとって高嶺の花。西駅発寝台列車で一夜を明かす。
寝台は上中下段あり、中下段は料金割高。体の大きい私は、上段でくノ字我慢の寝姿で東京着。上野駅から青森そして乗船4時間余りの青函連絡船で函館へ。さらに一面雪絵巻の原野を列車は走り抜け、大望を抱く札幌に到着した。
門出の長旅は、かたい決意で任地へ赴く私の貴重な時間となり、連絡船十和田丸で食べた呉汁と鮭弁当は、旅立ちにふさわしい格別な味となった。
鹿児島市 鵜家育男(64) 2010/4/24 毎日新聞鹿児島版掲載
寝台は上中下段あり、中下段は料金割高。体の大きい私は、上段でくノ字我慢の寝姿で東京着。上野駅から青森そして乗船4時間余りの青函連絡船で函館へ。さらに一面雪絵巻の原野を列車は走り抜け、大望を抱く札幌に到着した。
門出の長旅は、かたい決意で任地へ赴く私の貴重な時間となり、連絡船十和田丸で食べた呉汁と鮭弁当は、旅立ちにふさわしい格別な味となった。
鹿児島市 鵜家育男(64) 2010/4/24 毎日新聞鹿児島版掲載