はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

甲子園の後

2010-12-07 18:20:54 | ペン&ぺん
甲子園から鹿児島に戻った。丸刈りだった髪を伸ばし始めた。普通の洋服を買った。学校の制服でも、野球のユニホームでもない。普通の子が休日に着る服を。ずっと寮生活を続けた野球部員には、それが新鮮だった。
 今年の夏、鹿児島実業の2番打者でセカンドを守った亀甲章史君の「甲子園後」の体験である。
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 園児数の少ない幼稚園に通っていた。鹿児島市の西田幼稚園。今は、もうない。亀甲君が卒園すると同時に廃園された。同級の男子は4人。運動会のかけっこでは必ずしも1等賞ではなかった。
 元高校球児の父章蔵さんは、語る。「足の速さは人並み。特に速くはない。中学の時から、内野手でした」
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 今年の鹿実は、春の九州大会県予選でも、NHK旗大会でも優勝できずにいた。「甲子園出場は樟南」。鴨池球場の記者室では、そんな下馬評がささやかれていた。
 「鹿実は勝ち残っても準優勝」。冷ややかな視線を浴びながら迎えた準々決勝。相手は川内。初回に先制を許し、三回に追いつく。だが、あとが続かない。同点の最終九回。亀甲君のバットが放った打球がレフト線へ向かう。サヨナラ勝ち。
 「チーム打率は2割6分ぐらい。打てないチームだったんです」。章蔵さんはにが笑いする。下馬評を覆し“打てないチーム”は甲子園で3回戦まで勝ち進んだ。
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 髪は伸ばしかけて途中でやめた。今も早朝5時45分にグラウンドへ向かう。朝練のためだ。就職は内定した。社会人では、硬式ではなく、軟式のボールを握るつもりだ。
 夏の県予選ではサヨナラ打で試合を終わらせた。元球児の父が行けなかった甲子園。その土を、この足で踏んだ。だが、甲子園へ行こうと行くまいと、人生は続く。同点のまま終わらぬ延長戦のように。
 鹿児島支局長・馬原浩 2010/12/6 毎日新聞掲