はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

平和への祈り

2011-07-26 21:26:57 | アカショウビンのつぶやき
長崎市にお住まいの>“おたくささま”のブログよりお借りしました。


2011年3月11日、「東日本大震災」により日本は未曾有の災害を受けました。
その後の福島原子力発電所の事故は、原子力の持つ
人間では制御できない恐ろしさを、まざまざと見せつけています。

1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
長崎を最後の被爆地にしようという思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。

画像は平和公園内にある「折鶴の塔」と「平和祈念像」です。
「折鶴の塔」は原子爆弾犠牲者の霊をなぐさめるとともに、
二度とこの地球上に原爆の惨禍を招くことがないよう、
世界恒久平和をいのって寄せられた折り鶴を塔に掲げています。

「平和祈念像」は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。

長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m
(2011年7月24日)


台湾への思い

2011-07-26 16:16:57 | はがき随筆

北回帰線の石碑


 亡夫は台湾生まれ。夫の父が役人だった関係で、来客が多く軍人さんたちも着て、よく遊んでもらったと言っていた。
 家に台湾人のお手伝いさんがいて朝はおかゆを炊くのだが、重湯をこっそり家に運ぶので、まずいおかゆだったと、姑がまゆをひそめながら言っていた。 
台湾上を北回帰線が通っていて、その碑が草原にぽつんと建っていたのを見たと夫が話していたのが忘れられない。
 高くそびえる雪山や玉山。台北、台南、高雄。風にそよぐ草原の碑。夫の家族が戦前を暮らし、戦後引き揚げてきた台湾。夫と一緒に行きたかった。
  霧島市 秋峯いくよ 2011/7/26 毎日新聞鹿児島版掲載 写真はフォトライブラリより

焦りを誘う

2011-07-26 16:12:22 | はがき随筆
 七回裏だった。ノーアウトで四球を運び、ランナーが一塁に出た。
点差は1点。守る鹿児島商がリードしていた。攻める鹿児島実は当然、同点を狙って、送りバントを試みる。すると、鹿商のサードは守備位置を思い切り前にした。打者の目の前。
軟式野球とはいえ、投手と打者の間に入らんばかりの守備位置。バックネット下の本部席で見ていても驚くほどだった。
バントを試みる打者も心理的にプレッシャーを受け、焦ったはず。その結果なのか、バントは小飛球となり、投手と捕手の間でサードが捕球。スコアブック上はサードフライと記録された。
 今月10日、姶良市野球場で開かれた高校軟式野球選手権大会の決勝。その試合の行方を決めた場面だったと思う。
    ◇
 小学生のころ、軟式野球のチームに入っていた。外野手で打順も下位。できの悪い選手だったが、監督から教わり、覚えていることがある。
 ぼてぼての内野ゴロを打つ。明らかに一塁でアウトになるタイミング。それでも全力疾走する。なぜか? 小学生は「選手がミスをして、セーフになるかもしれないからです」と元気に答える。
 「違う。ゴロをつかんだ選手の目に、全力疾走する打者が入る。全力疾走を見せれば野手は焦る。野手を焦らせ、ミスを誘うため全力で走る」と言うのが“正解”だったと記憶する。いわば高度な心理戦を解説されたようで、忘れられない。
 あるいは、そのころ強かった巨人軍の川上野球の受け売りだったかもしれないが……。
    ◇
 さて、鹿商、鹿実が出場する高校軟式野球南部九州大会が30日から2日間、鹿児島市の県立鴨池球場で開幕する。「もう一つの高校野球」。ぜひ球場に足を運んでほしい。硬式とは違う打球の音が、懐かしい記憶を誘い出すかもしれないから。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/7/25 毎日新聞掲載

私がいつも…

2011-07-26 12:52:18 | はがき随筆
 歩道には、生い茂る雑草。
 「これでは手に負えぬ」。
 今日も愚痴をこぼしながら歩いていると、ステテコ姿で汗だくのご老人。
 片手には庭ぼうきを持ち、草むしり。
 「精が出ますね」と声をかけると「いやいや、私がいつも歩いている道ですから」。
 誰かがするだろうと考えていた自分が恥ずかしかった。
 みんなが共有しているものを数えれば、たくさんあるはずなのに。
 この「私がいつも……」の気持が、感謝に変わる瞬間かもしれない。
  姶良市 山下恰 2011/7/25 毎日新聞鹿児島版掲載

もったいない

2011-07-26 12:42:13 | はがき随筆
 お片づけの達人が言っていました。「2、3年、手を通していない服は処分しましょう」と!
 10㌔ぐらい細いころのスリムな服。いつかは、また着れるかも! 型の古い服も、めぐりめぐって、また流行するのかも!
 もったいない、もったいないで育った私には、処分ができないのです。
 服ばかりではないのです。裏の白い広告紙、紙袋、そして主人の食べ残した料理も、もったいない、もったいないと私の口に処分。
 これじゃ、スリムな服を着る時は、着そうにないけど処分できないのです。
  阿久根市 的場豊子 2011/7/24 毎日新聞鹿児島版掲載

食べにきてね

2011-07-26 12:31:49 | はがき随筆
 父の日の朝、ぼんやりと思った。娘が食事に誘ってくれていた父の日のことを。
 「特上のうな重」を、おいしそうに食べていたあの日が、夫との最後の食事会となった。私はそれから先は考える気力もなく、ただぼーっとしていた。しばらくして9歳の孫と娘が来てくれた。白とピンクのバラの花束が、遺影の前に飾られた。娘は「お父さんメロン大好きだったね」と、極上のメロンを供えてくれた。心の中で父への感謝の気持ちを持つ優しさが私にも伝わった。「じいじメロン食べにきてね」。無邪気な孫の言葉はどことなく寂しそうだった。
  鹿児島市 竹之内美知子 2011/7/23 毎日新聞鹿児島版掲載

豊かな緑を

2011-07-26 12:22:40 | はがき随筆
 長い梅雨もあけ、ひさびさに田舎の一本道に車を走らせる。左右の景色は、緑の稲。風になびいてビロードの波のよう。目を凝らすと、もう稲穂のついているのもある。この豊かな広々とした景色を眺めていると、何だか胸がいっぱいになってきた。青空のもと、はるか向こうに見える山並み。生け垣に囲まれた家々、トマトやキュウリの実る家庭菜園。何気ない風景も、一瞬にしてなくされた方々を思うとたまらない。
 自分たちのこのささやかな日常の景色に感謝しつつ、震災の傷跡の1日も早い回復を願っている。
  肝付町 永瀬悦子 2011/7/22 毎日新聞鹿児島版掲載

言えず仕舞い

2011-07-26 12:05:53 | はがき随筆
 50年以上前。4歳の私と2歳の弟を、歩いて10分のところにある銭湯に連れて行くのは5歳離れた姉の役目だった。2人を並ばせ、髪をを洗う。せっけんを頭になすり、ごしごししてお湯を2.3回流し、水気をタオルでふき取る。坊主頭の弟に比べ私の時は、まあ、そのふき方が手早く力強いので痛いのなんのって。もう少し弱くしてほしかったが「ひとりでお風呂に行けば」と言われそうで我慢した。
 その姉は闘病する間もなく急逝して七回忌が過ぎた。ベッドに伏せたままでもいい。介護士さんから髪を洗ってもらう横でこの話をしたいものを。
  いちき串木野市 奥吉志代子 2011/7/21 毎日新聞鹿児島版掲載

このイライラは

2011-07-26 12:03:46 | はがき随筆
 雷鳴が轟く雨に閉じこめられ、食っちゃ寝のわが身を恥じて家の中をウロウロ。老猫千代美と目が合うが、冷たく逸らされ、それなら本でもと開くが、睡魔が容赦なく襲ってくる。
 梅雨明けを発表した気象庁に向かっ腹を立てたら戻り梅雨とかわされ、ここで眠っては元の黙阿弥。テレビに目をやれば暴言を吐いた揚げ句辞めてゆく大臣。それが大震災の復興を司る最重要ポストの体たらくに、やり場のない怒りをかんじる。自分にも腹が立つが、たとえ死に体の首相からの要請であっても引き受けた以上、最善を尽くすのが心意気だと思うが……。
  志布志市 若宮庸成 2011/7/20 毎日新聞鹿児島版掲載
 

自身をもらって

2011-07-26 11:42:09 | 女の気持ち/男の気持ち
 6月3日深夜、新宿から被災地へ向かうボランティアツアーのバスに乗り込んだ。
 大丈夫かな?
 不安を抱えての出発。参加者は21~64歳の男女半々の42人。殆どの人が1人での参加だった。
 4日早朝に入った岩手県は緑が美しく藤の花がきれいに咲いていた。しかし陸前高田市に入った途端、景色が一変し、現実の世界とは思えない光景に息をのむ。動揺したまま活動地の田んぼに着いた。
 田んぼには畳やコンクリートの塊など想像を超える物が散乱している。ぬかるむ田んぼに足を踏み入れてがれき撤去の作業が始まった。
 ひ弱そうに見える若者たちが、顔をまっかにしながら力を合わせて重い物を運び出している。若い女性も泥だらけになりながら、懸命に働いている。若い人たちのたくましい姿を見ていると、日本は大丈夫と、明るい光が見えた思いだった。
 1人として力を抜くことなく黙々と、時には声を合わせながら作業を続ける。見ず知らずの42人が、同じ思いのもとでがっちり心が一つになった。
 私は、陸前高田市と大槌町の被災地から、人間のすばらしさを教えてもらい、生きる自信をもらった。
 被災地の方々が1日も早く心から笑える日が来るよう祈りながら、自分なりにできることをやっていきたい。
  中種子町 西田光子 2011/7/18 毎日新聞の気持ち欄掲載

満杯

2011-07-26 11:42:08 | はがき随筆
 網漁で荒らされた場所では5時間の悪戦苦闘の末に、4匹を掛けるのが精いっぱいだった。
 井堰まで下りて来ると、親子が水遊びに興じている。2人が亡き父と私に重なり、アユを2匹あげた。「コウタ、アユを2匹もらったよ」。父親の弾む声に「おうちにママがいる足りないよ」。とっさにママが浮かぶこの兒に、私の来し方が恥ずかしい。「ままの分をどうぞ」。ぺこっと頭を下げる仕草もかわいい。
 坊やに大切な物を教えられ、心に虹が立つようなさわやかさを覚えた。アユのびくは少量でも、心のびくを少量でも、心のびくは満杯だった。
  出水市 道田道範 12011/7/19 毎日新聞鹿児島版掲載

先輩

2011-07-26 11:32:44 | はがき随筆
 「4月ごろおいでよ」と先輩より電話をもらった。「お一人暮らしで」と思いながら午後4時お宅へ着くよう、午前中から不必要な予定をカットし、どうしてもということを中心に片付けて出かけた。
 以前よりこぎれいになったお宅へ入る。86歳の彼女、心身ともにお元気で会話が楽しい。風貌はずっと変わらないのが妙。ことあるごとに一喜一憂する私など足もとにも及ばない。
 若き日はバレーポールなど体育系に、中年は書にと文武両道の利き手。尊敬する先輩のお話を聞くだけで高揚感をそそる。私も、まなぼう、さらに。
  鹿児島市 東郷久子 2011/7/18 毎日新聞鹿児島版掲載




「憂うつだった梅雨」

2011-07-26 10:29:17 | 岩国エッセイサロンより
2011年7月26日 (火)

岩国市  会 員   山本 一

毎週、両親の介護で島根県吉賀町へ車で通った。東京勤務で岩国への帰省は天候にかかわらず休日である。カーブが連続する山道で梅雨の大雨になると、山側から谷側に向けて水が流れ川のようになる。怖い。でも行かなければ。

 やっと到着すると応答がない。なんと、玄関口で母が倒れているではないか。ある時はストーブの灯油がこぼれ、火災寸前だったこともあった。こんなことが度々、私の訪問を待っていた。

 あれから十数年。母は岩国の介護施設、私は退職し自由な生活になった。不安で憂うつな梅雨も、過去のこととなった。

  (2011.07.26 毎日新聞「はがき随筆」掲載) 岩國エッセイサロンより転載