長崎市にお住まいの>“おたくささま”のブログよりお借りしました。
2011年3月11日、「東日本大震災」により日本は未曾有の災害を受けました。
その後の福島原子力発電所の事故は、原子力の持つ
人間では制御できない恐ろしさを、まざまざと見せつけています。
1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
長崎を最後の被爆地にしようという思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。
画像は平和公園内にある「折鶴の塔」と「平和祈念像」です。
「折鶴の塔」は原子爆弾犠牲者の霊をなぐさめるとともに、
二度とこの地球上に原爆の惨禍を招くことがないよう、
世界恒久平和をいのって寄せられた折り鶴を塔に掲げています。
「平和祈念像」は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。
長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m
(2011年7月24日)
その後の福島原子力発電所の事故は、原子力の持つ
人間では制御できない恐ろしさを、まざまざと見せつけています。
1945年8月9日午前11時2分。
長崎は原子爆弾の投下をうけ、一瞬にして焼け野が原となりました。
長崎を最後の被爆地にしようという思いは届かず、核の脅威は広がるばかりです。
画像は平和公園内にある「折鶴の塔」と「平和祈念像」です。
「折鶴の塔」は原子爆弾犠牲者の霊をなぐさめるとともに、
二度とこの地球上に原爆の惨禍を招くことがないよう、
世界恒久平和をいのって寄せられた折り鶴を塔に掲げています。
「平和祈念像」は被爆10周年にあたる1955年8月に完成しました。
垂直に伸ばした右手は原爆の脅威を、
水平に伸ばした左手は平和を、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っています。
長崎の平和運動のシンボルとなっています。
長崎から、“おたくさ”の思いを画像に込めました。
ご自由にお持ち帰りいただき、
多くの人に平和への関心を広めていただければ嬉しいです。m(__)m
(2011年7月24日)