
中学時代から山歩きが好きだった私は近くの矢筈岳や紫尾山によく登った。ためたお年玉で登山靴とヤッケを買ったのは高2の時だ。早速、親友と雪の紫尾山へ行った。山頂で日本アルプスへの思いを語ったのは遠い青春の日の思い出だ。
中三の時、新田次郎の「風の中の瞳」に出会った。以来、新田作品を読み続け、本棚には彼の作品が今でも並んでいる。
歩けるうちだ!――そう思った私は今年6月末、スケッチブックとカメラを携えスイス旅行に出かけた。雪化粧のアイガー、マッターホルン、モンブラン……。日々、新田ワールドの中にいた。咲き乱れる高山植物を眺め、ゆっくり歩いた。マッターホルンをスケッチした。涙が流れてきた。
「元気かい。元気だよ」
妻宛にスケッチした山の絵はがきを登山鉄道の駅で投函した。アイガーグレッチャー駅からクライネシャイデック駅まで歩いて下りると、近くに小さな墓があった。「新田次郎ここに眠る」
思いも寄らぬことでまた涙がこみ上げてきた。
世界一人種の多い国というスイスは、120年前にアイガーに観光用トンネルを掘った。第二次大戦中は多くの難民を救った。海抜高度が高く土地の生産力の低い国であるが、なぜか色彩豊かな印象がある。単一純粋を志向する国々の争いが絶えぬ中、中立国スイスは国のあり方をも私に問いかけ、考えさせてくれた。
出水市 中島征士 2014/8/31 毎日新聞、男の気持ち欄掲載