はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

留学生

2015-09-25 21:44:48 | はがき随筆
 休日を利用して、いちき串木野市の薩摩藩英国留学生記念館を訪ねてみた。幕末、薩摩藩の留学生ら19人がイギリスに渡って今年はちょうど150年になるという。記念館がオープンしたのは昨年7月。訪れたのが日曜だったせいか、館内はかなりのにぎわいだった。
 今さら私が説明するのもおこがましいが、薩摩藩は薩英戦争後、西洋文明を学ばせようと13~32歳の19人を視察員、留学生としてイギリスに送り込んだ。後に実業家として大阪経済を牽引した五代友厚の提案が基だが、五代は当時29歳。メンバーの一人で初代文部大臣を務めた森有礼は17歳。若さにまず驚く。
 19人のその後の人生はさまざまだ。例えば村橋久成は北海道開拓に情熱を注ぎ、国産ビール工場を当初の東京ではなく札幌につくるよう政府に迫った。これがサッポロビールのルーツというのは有名な話。渡米してカリフォルニアのワイン産業に携わった長沢鼎の話も印象深かった。
 帰国後に薩摩藩の家老となり、やがて奄美振興に尽くした新納久脩も興味深い。「鹿児島県の近代史」(山川出版社)によると、新納は奄美の精糖産業のネックは流通にあると考え、大阪の業者を呼んで低利融資と島民救済を図った。鹿児島商人らによって1年で大島島司を罷免されたが、その後の農民運動を呼び起こすきっかけをつくったのだという。
 実は薩摩藩の少し前、長州藩も若者をこっそりヨーロッパに送り出している。後に首相となる伊藤博文や、内務大臣などを務めた井上馨ら5人。私が今春まで勤務した下関では留学生を主人公にした「長州ファイブ」という映画も作られ、顕彰がが続いていた。ただし、派遣した人数が多かったこともあって、薩摩藩に軍配が上がるようだ。機会があれば、さらに彼らの足跡をたどってみたいと思う。
  鹿児島支局長 西貴晴 2015/9/24 毎日新聞鹿児島版掲載


ツマベニチョウ

2015-09-25 21:36:31 | はがき随筆


 鮮やかな純白とオレンジ色のツマベニチョウか緑の間を縫って通り過ぎ、そのまま高度を上げて飛び去った。その昔には多くのツマベニチョウが飛び交っていたであろう情景を思い描いた。そして関東で過ごした学童のころ、シオカラトンボやムギワラトンボ、オニヤンマなどを追い回していたころを思い出した。竹で水鉄砲や竹トンボを作り、太い針金を曲げてパチンコを作った。メンコ、ケン玉、ベーゴマ、ビー玉……そんな遊びに夢中になったものだった。
 久々に目にしたツマベニチョウが、懐かしい遠い昔の思い出に導いてくれた。
  西之表市 武田静瞭 2015/9/24 毎日新聞鹿児島版掲載