昭和36年3月、実家の玄関に「電報です」。急いで受け取った私。それは、東大を受験した弟からの合格通知だった。家族が待ち望んだ吉報に歓喜の声が上がる。父は合否を案じて涙目だったが、満面の笑みになった。後日、帰郷の弟に「よかったね」。そして語気も強く「勝ってかぶとの緒を締めよ。おごり高ぶる事はなかれ」。「決してそんな」と弟。恩師の方々、親類から称賛の数々。努力は実った。4月の入学式に、父は単身上京した。胸中、花満開のうれしい旅立ち。子供たちに一喜一憂して、享年87歳での他界。天国で母と安らかに。
肝付町 鳥取部京子 2017/1/13 毎日新聞鹿児島版掲載
肝付町 鳥取部京子 2017/1/13 毎日新聞鹿児島版掲載