はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

瞳の澄んだ人

2017-05-25 16:56:54 | はがき随筆
 まるで仙人のような人が、霧島の奥地に住んでいた。
 初めて出会えたとき、その人の目を見てびっくり。澄み切った瞳だった。湖のように深く澄んでいる。今時、こんな目の綺麗な人に巡り合えたことはなかった。失礼とは思ったが、「おたくの目はきれいですね」と思わず口にした。「そうですか」と笑顔で返された。
 まるで、かすみか雲でも食べているのではないか、と思わせるその方から、センリョウの葉に斑の入った、小さな苗木を分けてもらった。植えた鉢のセンリョウは、彼の瞳を思い出させる。
  出水市 小村忍 2017/5/25 毎日新聞鹿児島版掲載

旦過市場

2017-05-25 16:51:07 | はがき随筆
 旦過市場は、JR小倉駅から歩いて十数分の場所にある。細い通路の両側に間口の狭い店が200以上猥雑に並んでいる。
 威勢のいい呼び声が飛び交うその場所に、子どもの頃母と何度か来た。先日訪ねると小さな目で見た情景のままだ。しかし時代の波はここにも。昨年6月の全面建て替え案によると、おしゃれな川沿いマーケットに。
 店の人にどうするか尋ねた。
「何十年前からある話やけど、今回はね……」。ここは店じまいを考えているふうだ。次に行くときは胃袋を刺激する魚、野菜、肉、惣菜の混ざり合った匂いがまだ残っているだろうか。
  鹿児島市 高橋誠 2017/5/24 毎日新聞鹿児島版掲載


80歳はヤバイ?

2017-05-25 16:42:56 | はがき随筆
 昨年80歳を迎えた。船橋に子供が2人住んでおり、弟が昨年の4月に来た。私の運転で中種子に向かう途中「お父さん80㌔だよ」と注意された。今年4月に入ったら姉が来た。カミさんに「お父さんは右側の注意が足りない」と告げたそうだ。
 姉が帰ったかと思ったら11歳年下の私の末の弟が10年ぶりに来て、昔話に花を咲かせた。運転に関しては「うまい」といいながらも「荒い」と付け加えた。帰る際「あれだけ食欲があれば大丈夫」と言い残して機上の人になった。関東から身内が3人続けて来島。80歳はヤバイと思われているのを感じた。
  西之表市 武田静瞭 2017/5/23 毎日新聞鹿児島版掲載

心のふれあい 

2017-05-25 16:34:48 | はがき随筆
初夏の風を受け、こいのぼりが勢いよく空を泳いでいる。縁側からふと外を眺めると、ピカビカの一年生が大きなランドセルを背に、暑かったのか上着を脱ぎゾロビキながら何とモゼ下校姿。「こんにちわ! ゾロビちょいよ」と声をかけた。するとこどもの声も弾んで「マコテ!」と言いながら「学校は楽しいよ」と元気よく笑顔で答えてくれた。このふれあいがなくなってきたように思うのは、ぼくだけではないだろう。むかしは集落のおじさんに怒られたり、励まされたりと「ぬくもり」があった。今何が大切かを教えてくれたひとときのふれあい。
  さつま町 小向井一成 2017/5/22 毎日新聞鹿児島版掲載

今年の桜

2017-05-25 16:27:35 | はがき随筆
 開花が遅れたうえ雨が多く、どこで桜をと思っているうちに気温が上昇、たちまち満開の情報が流れる始末。花の下に立って春を感じたい思いに駆られて手近な平和公園へ行く。春の風に舞う花弁が妻の髪を飾る。
 しかしここには慰霊塔があり、かつては飛行場、先の大戦末期、特攻隊員として若い生命を奪った。神風、大和魂などと教え込まれた若者が……。
 つい先日、パン屋を和菓子やに変更した教科書検定。目立たない変更を繰り返して、いつの間にか大和魂なんて言葉が教科書に……。気が重い今年の桜になりました。
  志布志市 若宮庸成 2017/5/21 毎日新聞鹿児島版掲載


兄・妹

2017-05-25 16:21:25 | はがき随筆
 兄上様、とうとう永の別れの日が来ました。4人姉妹のH家に婿入りされたのは私が小学校6年生の頃でした。末妹の甘えで新婚夫婦について海水浴に行き、ポートをこいでくださった若き日の姿。お兄さんができてどんなにうれしかったことでしょう。長年教育現場で働き、退職後は人権擁護委員やさまざまな活動をされた92年のご生涯でした。入学式、卒業式で着られたモーニングは柩に納められました。良き家庭人で立派な教育者であった兄上は人生の師でもありました。来世もお兄さんであってください。ありがとうございました。
  鹿児島市 内山陽子 2015/5/20 毎日新聞鹿児島版掲載

福知山線脱線事故

2017-05-25 16:15:34 | はがき随筆
 事故の慰霊祭をニュースで見た。あの日の朝、卒業後ひと月たってようやく届いた採用通知を手に、息子は意気揚々と赴任先にあいさつに出かけた。
 昼のニュースで事故を知った。何がどうなっているのか目を疑う現場の映像。事故を起こした運転士が息子と同じ年だと分かったときの衝撃。百余名の方々の無念さを思うと同時に、大事故を引き起こした運転士も哀れでならなかった。また、子どもの死を手放しで悲しめないだろうご両親にも心が痛んだ。
 あれから12年、息子は35歳になった。夫となり父となった。祈念した平凡な日々の中で。
  出水市 清水昌子 2017/5/19 毎日新聞鹿児島版掲載

町内会

2017-05-25 16:09:22 | はがき随筆
 私の住む波之平地区の大半は昔は田んぼだった。電車は谷山まで一面青田の中を走り、シラサギをよく見かけたそうだ。町内では班ごとに公園の清掃があるので、知り合いも多い。春は花見、秋は月見を桜川公園で開いている。弁当のほかに焼酎や手作りの料理を持ち寄り、自己紹介をする。春は福岡からの単身赴任者も加わりにぎわった。
 最近、町内でも高齢化が進み、世代交代もみられる。一人になると施設に入り、亡くなると更地になってマンションが建つ。隣地で畑を耕すYさんは業者の訪問を一切断り、元気な間は手放さないと頑張っている。
  鹿児島市 田中健一郎 2017/5/18 毎日新聞鹿児島版掲載

宝物

2017-05-25 16:03:18 | はがき随筆
 私の宝物、他の人にとっては笑い話になる宝物だけど私にとっては……。定価180円、店の販売価格135円の〝すいだしの膏薬〟。水産加工業の家に嫁いだ私にとって魚のさばきは爪の中や指先にトゲが刺さり、針と毛抜きは手放せない品だった。そんなとき、実母がアメ色のベットリした宝物をもってきてくれた。不思議と一晩つけていると、朝には吸い出してアメ色の表面にトゲがついて抜けていた。あれから50年、大切に大切に使い、今では缶の隅についた薬を温めてつまようじで集めている。思うと嫁入り道具の一品。母の愛情、ありがとう。
  阿久根市 的場豊子 2017/5/17 毎日新聞鹿児島版掲載

そらいろの音

2017-05-25 13:11:00 | はがき随筆
 ピアノを習い始めた息子が「『そらいろの音』ってなに?」と聞いてきた。空に音なんてあったっけ? と私は考え込んだ。海なら波の音、山なら嵐と連想できる。答えはテレビから流れてきた。ドレミの階段をのぼれば「ソ」はいつも空色だ。
 「ドレミの歌」で言えば、原詞より邦詞の方がはるかにイメージを喚起させる。原詞では「doe」は「めすの鹿」、「me」は「自分を呼ぶ時の名前」。「sew」は、「ソーイングのソ」で、「青い空」に軍配が上がる。
 スキップしたくなるような明るい「ソ」の音は、やっぱり「そらいろ」だなと思う。
  鹿児島市 堀之内泉 2017/5/16 毎日新聞鹿児島版掲載

結婚50年

2017-05-25 13:03:18 | 岩国エッセイサロンより
2017年5月25日 (木)
   岩国市   会 員   片山清勝

 私ら夫婦は先月、金婚式を迎えた。両親は達成できなかったと思うと、何かしら感慨がある。
 父は50代半ばで急逝した。病身の母とまだ高校生の妹を含むきょうだい4人が残された。
 弟は遠地で働いていた。
 私は長男。20代半ばで何の準備もないまま、家族という重荷を背負うことになった。三交替勤務の身だったので、思うように家事をこなせなかったが、妹2人と協力して母を助けた。
 父の死から3ヵ月が過ぎた頃、結婚の話が持ち込まれた。仲に立つ人は、わが家の状況について「先方に伝えてある」と言った。話はまとまり、母、妹たちと同居する形で結婚生活がスタートした。
 父の亡くなったショックもあり、母の病状ははたで見るより厳しく、手のかかる状態が続いた。妻は専業主婦として母の介護をしながら家事一切をこなした。
 食事療法で母の症状は次第によくなる。長男が園児の頃には怪獣ごっこを楽しみ、趣味で菜園も始めた。妻と多少のすれ違いは生じたが、いつの間にか「嫁にみとってもらう」というのが母の願いとなった。
 結婚・同居から20年がたったある日、母は救急搬送された。面会謝絶の中、妻に手を握られて逝った。
 今年、妻は母の享年に並んだ。年齢とともに変わる体調、特に足腰の変化が母に似てきている。
 一昨年は父の五十回忌、来年は母の三十三回忌。法事を続けられることが小さな幸せかと思う。

      (2017.05.25 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)

ホタルを保護して

2017-05-25 13:01:26 | 岩国エッセイサロンより
2017年5月23日 (火)
 岩国市  会 員   角 智之

5月中旬から6月にかけて初夏の風物詩、ホタルの出番が到来。子供の頃、夜遅くまで追いかけた記憶がある。
 日本のホタルは幼虫期を水中で過ごすが、これは地球規模では珍しく世界中の昆虫学者から注目されているという。成虫になるには土中に潜り蛹(さなぎ)となるため護岸がコンクリートでは潜れない。農薬の使用を極力控え、餌のカワニナの生育を助けることも必要だ。
 昔からの風情ある情景を将来に残すため、地域の建設や農業従事者を中心に、世界的にも貴重なホダルの保護を真剣に考えなければならない時だと思う。
  (2017.05.23 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

金婚式 妻の支え感謝

2017-05-25 12:59:58 | 岩国エッセイサロンより
2017年5月23日 (火)
   岩国市   会 員   片山清勝

 先月、結婚50年の記念日を迎えた。京都に住む孫から届いた花を挟んで、ささやかな二人だけの祝宴をした。
 幾日か過ぎ、本棚の整理中、退職時の寄せ書きや手紙を読み直した。何人かが 「君が思いっ切り仕事ができたのは内助の功のおかげ」と書いている。
  「お父さんは仕事ばかりで遊んでくれない」と、息子が不満を妻にもらしたことを思い出す。
 父の急逝後に結婚し、病身の母と同居。母は妻の作る食事で回復し、息子とよく遊んでくれた。
 そんなこともあり、仕事に打ち込めたのだが、家族には「すまない」と心でわびていた。会社人間と専業主婦、それで通せた時代だった。
 母と20年ほど同居した妻は、母の享年に並んだ。年が並び、母と同じような体の動きになってきたという。 
 来年は母の三十三回忌。父の五十回忌は一昨年済ませた。両親が達成できなかった結婚50年。これからも充実した日々を楽しく積み重ねていこう。

    (2017.05.23 中国新聞「広場」掲載)

満開のエビネランに亡夫思う

2017-05-25 12:50:10 | 岩国エッセイサロンより


2017年5月14日 (日)
岩国市  会 員   横山 恵子
庭のエビネランがかれんな花を咲かせている。亡夫が下関市で小学校教師をしていた時、教え子の親から頂いた。以来37年。鉢植えのエビネランとともに5回引っ越し、故郷の近くに落ち着いた時、ツツジの根元に植えた。安住の地を得て株が増え、何人かに株分けした。
夫が亡くなって3年、先月29日の命日に合わせるかのように満開となった。見ていると、下関で過ごした8年がよみがえる。夫は同僚や教え子たちを連れ、毎月一度は市内の竜王山に登っていた。新婚の私は、お弁当や日々の食卓の献立に頭を悩ませた。3人の息子に恵まれ、イクメンの夫に助けられた。
 そんな思い出話ももはや夫とは出来ない。せめてもと仏壇にエビネランを供えた。あの世から眺めているだろうか。
(2017.05.14 朝日新聞「声」掲載)

二度と過ちは

2017-05-25 12:48:45 | 岩国エッセイサロンより
2017年5月14日 (日)
岩国市  会 員   横山 恵子
 
 原爆資料館の地下に昨年度の寄贈被爆品類が展示してある。その中に広島で学生時代を過ごした亡父たちの写真も。非業の死を遂げた仲間たちにも共に夢を語り合った青春があった。
 被爆時に戻ったような空間。1枚の絵と文にくぎ付けになった。息子の亡骸を泣きながら、菰に包んで歩く父子。「どんなに熱かったろう。どんなに痛かったろう。お父さんと帰ろう」  
 破れた服、8時15分で止まった時計……。それぞれに家族があり、未来があった。  
 遺品から魂の叫びが聞こえてくるようだ。
    (2017.05.14 毎日新聞「はがき随筆」掲載)