母は晩年、入退院を繰り返した。父が亡くなった時は、母と思われた方もいらっしゃったほど。半年後に母が続いた。「ご主人を見送って逝かれて、夫婦仲が良かった証拠よね」と、周りの方が慰めてくださったのを覚えている。
父の時も泣けたが、母の時のそれは慟哭。仕事に向かう車の中でも気がつけば声を出して泣いていた。街なかや旅先で年老いたお母さんに寄り添う娘さんを見ると、うらやましくてしょうがなかった。母がいてくれたら私だって一緒にどこにでも出かけたのに、と。日にちが薬と言われるように、悲しみは少しずつ薄くなり、母のありがたさがしみじみ思い出される。
あれは娘が1歳になったばかりの真冬の夜、夫といさかいをした私は、12時というにの娘を連れて車で40分の実家に戻った。ぷりぷり思って事情を言い放つ私の前で、母は涙を流しながら黙って聞いてくれた。話し終わると、「今夜はとまっていいけど、明日は帰らんとね」と念押しした。翌朝、私は娘と帰った。
母が、私と一緒になって夫を責めたり、逆に家に入れてくれなかったら、私は最悪、離婚していたかもしれない。些細なことが引き金となり、結婚生活は破綻することもあるから。
この秋、娘が嫁ぐ。もしもの時、私は母のように泣けるだろうか。
鹿児島県薩摩川内市 奥吉志代子(60)
2008/10/24 毎日新聞女の気持ち掲載
父の時も泣けたが、母の時のそれは慟哭。仕事に向かう車の中でも気がつけば声を出して泣いていた。街なかや旅先で年老いたお母さんに寄り添う娘さんを見ると、うらやましくてしょうがなかった。母がいてくれたら私だって一緒にどこにでも出かけたのに、と。日にちが薬と言われるように、悲しみは少しずつ薄くなり、母のありがたさがしみじみ思い出される。
あれは娘が1歳になったばかりの真冬の夜、夫といさかいをした私は、12時というにの娘を連れて車で40分の実家に戻った。ぷりぷり思って事情を言い放つ私の前で、母は涙を流しながら黙って聞いてくれた。話し終わると、「今夜はとまっていいけど、明日は帰らんとね」と念押しした。翌朝、私は娘と帰った。
母が、私と一緒になって夫を責めたり、逆に家に入れてくれなかったら、私は最悪、離婚していたかもしれない。些細なことが引き金となり、結婚生活は破綻することもあるから。
この秋、娘が嫁ぐ。もしもの時、私は母のように泣けるだろうか。
鹿児島県薩摩川内市 奥吉志代子(60)
2008/10/24 毎日新聞女の気持ち掲載
お孫さまの誕生おめでとうございます。
お母様に会わせて上げたかったでしょうね。
富山県にお住まいですか、東北北陸など北国にはあこがれますね。今ごろは全山真っ赤な紅葉でしょうか、いやいやもう雪景色なのかもしれませんね。
我が家の庭では、ブルーベリーがまっかっかです。
南国でも今日は寒い雨の一日でした。
母になった娘のおだやかな顔を見てほっとしました。
女の気持ちには一度投稿したこともあるんですよ。全国紙ってなかなか・・・と思ったことを思い出しましたが、あなたに背を押され また投稿しました。さてさて。
よいご旅行をなさいましたね。
楽しい思い出はいつまでも心の内によみがえり、生きていく力になります。
「もっと、あちこち行ければ良かった…」
と後悔するのも致し方ありませんが、たった一つ(ではないのでしょうが)の楽しい思い出を大切になさってくださいね。
幸恵さまは、北陸か東北地方の方かと思われますが、毎日新聞には読者投稿欄があり「女の気持ち」というエッセイを募集しています。書くことは自分の気持ちを冷静に見つめられ、また書くことで気持ちを整理することにもなるようです。是非お書きになりませんか。
6月にはじめて二人きりで 能登島への1泊旅行をして水族館へ行って 入場料を払おうとしたら 心臓手術をして身体障害者1級の手帳を持ってる母だけではなく 私も無料ときいてびっくりしました。これからもあちこち行こうねと言って笑っていたのにね。イルカのジャンプや ラッコの愛らしい姿に 子供のように喜んでいたのに。
アカショウビンさんの娘さんは 笑顔で嫁がれましたか?私の娘は両親への手紙を ずっと笑顔で読みました。教師という職業柄もあるのでしょうが、堂々としていて 涙で読めなくなるのではという心配をしていた私の方が涙が止まりませんでした。今年はうれしいのと悲しいのとが一度にやってきて ほんとに忙しい年となりました。
ご両親が下さった素晴らしいお名前ですね。
深い愛情が注がれて成長なさったのでしょう。
お母様の声を遺しておけば…との思い分かります。
でも私の経験から言うと、彼の声を聞くたびに会いたくて辛くなり、結局いまでは封印です。
お母様の声はあなたの胸の裡で優しく響いていることでしょう。それが癒しとなりますようにと祈ります。
両親を亡くした今、けっこう大胆になれる気がして、怖い時もあるのです。だって 家を飛び出しても泣いて心配する人はいないような気がして。
娘は結婚して金沢に住み、息子は大学在学中で岩手にいます。二人とも親離れが上手ですが、親の私は子離れがなかなか。
幸恵という名前に込めてくれた両親の思いをこれからも抱きしめて生きていこうと思っています。
今も笑顔の母の遺影を眺めながら これをつづっていますが、実家へ電話したら母が出てくれそうな気がします。母の声を残しておけばよかったと今になって悔やまれるのです。
コメント有り難うございました。
四年の間に、ご両親を続けてお送りなさったのですね。
悲しい時はいっぱい涙を流して下さい。
涙は、辛い心を癒してくれるように思います。
私も涙の日々を体験しました。独りの寂しさに耐えながら少しずつ少しずつ癒されました。
愛する人は、なかなか夢にも現れてくれません。
幸恵さんの最後のひと言が痛いほどわかります。
お父様お母様が、いつも見守ってくださっています。
お仕事を持っていらっしゃることは、ある意味でお幸せなことかと思います。明日を信じて生きましょうね。