2012年3月30日 (金)
岩国市 会 員 樽本 久美
大学生時代、下宿をした。大島のおばあちゃんはたいそう心配した。「久美が下宿してだいじょうぶかいね」と。いつも遊びにいくと、私の大好きなイモを食べさせてくれた。そのおばあちゃんに母がそっくりになってきて、私も母にそっくりである。
その母が足を悪くして、家の中でもつえが放せない。たまに母の家にいくと「2階の部屋のあれをとってきて」と頼まれる。
ある日、母の机の引き出しを開けると、たくさんの私からの手紙があった。下宿先から出した手紙や母の日のメッセージカードなど、よくもこんなものをと思うものまで捨てずにとってあった。
大学生時代、母はよく小包を送ってくれた。そこには必ず「手紙」が添えてあった。母からの手紙には愛情が詰まっていた。思いやりが感じられた。残念ながら私は母になることができなかったが、その時の「おまもり」は今も持っている。
結婚したら必ず母親になるとは限らない。子供のいない夫婦も多い。今まで何度も「お子さんは?」と聞かれた。何度も何度も嫌な思いをした。この年になってやっと聞かれなくなったけれど。
「みくちゃん、元気ですか?」
私の心の中の子供に手紙を書いてみた。
今はたまに「みくちゃんあての手紙」を、私のノートに作成中。
(2012.03.30 毎日新聞「女の気持ち」掲載)岩國エッセイサロンより転載
岩国市 会 員 樽本 久美
大学生時代、下宿をした。大島のおばあちゃんはたいそう心配した。「久美が下宿してだいじょうぶかいね」と。いつも遊びにいくと、私の大好きなイモを食べさせてくれた。そのおばあちゃんに母がそっくりになってきて、私も母にそっくりである。
その母が足を悪くして、家の中でもつえが放せない。たまに母の家にいくと「2階の部屋のあれをとってきて」と頼まれる。
ある日、母の机の引き出しを開けると、たくさんの私からの手紙があった。下宿先から出した手紙や母の日のメッセージカードなど、よくもこんなものをと思うものまで捨てずにとってあった。
大学生時代、母はよく小包を送ってくれた。そこには必ず「手紙」が添えてあった。母からの手紙には愛情が詰まっていた。思いやりが感じられた。残念ながら私は母になることができなかったが、その時の「おまもり」は今も持っている。
結婚したら必ず母親になるとは限らない。子供のいない夫婦も多い。今まで何度も「お子さんは?」と聞かれた。何度も何度も嫌な思いをした。この年になってやっと聞かれなくなったけれど。
「みくちゃん、元気ですか?」
私の心の中の子供に手紙を書いてみた。
今はたまに「みくちゃんあての手紙」を、私のノートに作成中。
(2012.03.30 毎日新聞「女の気持ち」掲載)岩國エッセイサロンより転載
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます