年子の3人目を出産して間もなく、親の不注意から3歳の長男が車にはねられ、大けがをさせてしまった。運良く命は無事だったが、3ヶ月半にも及ぶ長い入院生活を送った。
腰から下のギプスに身動きもとれず、果たして今後、歩行に支障はきたさないだろうかと不安で押し潰されそうな毎日だった。
おかげで足の手術も成功し、その後は何ら不自由することなく大きくなった。それどころか、小中学校では選手として地区大会に出場する俊足を誇った。事情を知らない方には信じてもらえないほどだった。
小学生の頃は制服が半ズボンのため、やけどの痕のようなケロイドに同級生から心ない言葉を浴びせられどれほど悲しい思いをしただろう。つらいいじめにもあったようだ。でも、生来元気な子で、それらをものともせず、親の心配をよそに明るく育ってくれた。
その息子が高校卒業後はためらうことなくリハビリを学び、作業療法士に。多くの患者さんのために力を尽くし、社会に恩返しできるまでになった。
本人は「この傷跡があったからこそ患者さんとも正面から向き合える。結果的に今の職業につながっているんだ」と親を慰めてはくれる。2人のかわいい娘にも恵まれ、幸せそのもの。あの苦しかった日々がまるでウソのようだ。
30年以上昔を振り返り、現在もなお、お世話になった方々に感謝する。
鹿屋市 中鶴裕子 2013/3/9 毎日新聞女の気持ち欄掲載
腰から下のギプスに身動きもとれず、果たして今後、歩行に支障はきたさないだろうかと不安で押し潰されそうな毎日だった。
おかげで足の手術も成功し、その後は何ら不自由することなく大きくなった。それどころか、小中学校では選手として地区大会に出場する俊足を誇った。事情を知らない方には信じてもらえないほどだった。
小学生の頃は制服が半ズボンのため、やけどの痕のようなケロイドに同級生から心ない言葉を浴びせられどれほど悲しい思いをしただろう。つらいいじめにもあったようだ。でも、生来元気な子で、それらをものともせず、親の心配をよそに明るく育ってくれた。
その息子が高校卒業後はためらうことなくリハビリを学び、作業療法士に。多くの患者さんのために力を尽くし、社会に恩返しできるまでになった。
本人は「この傷跡があったからこそ患者さんとも正面から向き合える。結果的に今の職業につながっているんだ」と親を慰めてはくれる。2人のかわいい娘にも恵まれ、幸せそのもの。あの苦しかった日々がまるでウソのようだ。
30年以上昔を振り返り、現在もなお、お世話になった方々に感謝する。
鹿屋市 中鶴裕子 2013/3/9 毎日新聞女の気持ち欄掲載
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます