ボランティア活動を通じて知りあった「ひきこもり支援センター」の代表者から、ラーメン屋で働きたいという20代の若者を預かってほしいとの依頼があった。
その彼は小学3年から不登校になり、中学もまったく通わず、インターネットの世界で生きてきたと言う。
本人、父親、代表者、私の4人で面談した。青い顔にか細い肩と小さな手。質問にも下を向いたまま小声でボソボソと話し、体も心もあまりにも華奢で「ガラス細工」でできたような青年だった。
週3日、3時間の見習いから始めることにしたが、絶対に続かないと思った。
家内とパートさん4人に事情を話した。不安の声も上がったが、しからない、無理をさせない、褒めて自信を持たせる、ことを確認し合った。
ラーメン屋の仕事はハードだ。体調不良でしばしば休んだが、辞めるとは言わなかった。半年が過ぎ、ウエーターと皿洗いができるようになったのを機に、わずかだが小遣いを手渡すことにした。
思いがけない変化が起きた。自分の存在が認められた。戦力になれたとの自覚が生まれたのか、休まず明るく積極的になったのである。
丸一年を迎えた朝、尋ねた。
「店は楽しいか」
「はい、楽しいです。僕はお店が大好きです」
大きく力強い声だった。
たった1年で……。胸が熱くなった。
北九州市戸畑区 ラーメン店店主 長浜 寛治 2011/5/28 毎日新聞男の気持ち欄掲載
その彼は小学3年から不登校になり、中学もまったく通わず、インターネットの世界で生きてきたと言う。
本人、父親、代表者、私の4人で面談した。青い顔にか細い肩と小さな手。質問にも下を向いたまま小声でボソボソと話し、体も心もあまりにも華奢で「ガラス細工」でできたような青年だった。
週3日、3時間の見習いから始めることにしたが、絶対に続かないと思った。
家内とパートさん4人に事情を話した。不安の声も上がったが、しからない、無理をさせない、褒めて自信を持たせる、ことを確認し合った。
ラーメン屋の仕事はハードだ。体調不良でしばしば休んだが、辞めるとは言わなかった。半年が過ぎ、ウエーターと皿洗いができるようになったのを機に、わずかだが小遣いを手渡すことにした。
思いがけない変化が起きた。自分の存在が認められた。戦力になれたとの自覚が生まれたのか、休まず明るく積極的になったのである。
丸一年を迎えた朝、尋ねた。
「店は楽しいか」
「はい、楽しいです。僕はお店が大好きです」
大きく力強い声だった。
たった1年で……。胸が熱くなった。
北九州市戸畑区 ラーメン店店主 長浜 寛治 2011/5/28 毎日新聞男の気持ち欄掲載
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