はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

命の恩人

2007-08-27 23:46:20 | はがき随筆
 昭和16年の真夏、畑で大豆引きと運搬作業に汗した。午後になって頭痛に襲われ寝込んでしまった。父母の懸命な看護も効果なく、ついに40度の熱にうなされる。もう苦しみもなく夢心地であった。田舎で氷もなく、裏山のわき水で昼夜、冷やし続けた。
当時の開業医、M先生が町から10㌔の悪路を自転車で往診して下さった。熱射病と診断。何回か往診を受けるうちに熱も下がり徐々に回復に向かった。
 やっと起き上がったのが30日ぶり。高熱で脱毛し、いがぐり坊主になった。父母の献身的な看護とM先生のドクター魂に救われ、今の私がいる。
   霧島町 楠元勇一(80) 2007/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載

錦江湾横断遠泳

2007-08-27 08:31:32 | アカショウビンのつぶやき







 鹿児島市立松原小学校の伝統行事<錦江湾横断遠泳>は、大正15年に始まり、戦争等の影響で一時中断したが、昭和41年に「心身共に強くたくましい子どもを育てたい」という願いから復活され、今年は、4年生以上91人の児童全員が、対岸の桜島小池海岸から鹿児島市磯海水浴場までの約4キロを2時間かけて泳ぎ切ったという。

万年カナヅチのアカショウビンには夢のような話。

 古代泳法の師範を父に持つ夫は幼い時から徹底的に鍛えられたらしく、8人の子供たちは父からプールに投げ込まれた話をよくしていた。父親の指導はかなり厳しかったようで、義姉は70代後半までマスターズに参加したほどだった。

 子供だけは「カナヅチ」にならぬよう、2人の子どもを小学校のスイミングクラブに入れたが、小5の娘が、寒中水泳に参加したいと言い出したときは驚いた。
小雪の舞う日、ブルブル震えながらプールに飛び込んだ娘の必死の形相を思い出す。「飛び込んだ瞬間死ぬかと思った…」と言っていたが風邪も引かなかった。

 松原小の子供たちも貴重な体験を通して、一段と体も心も逞しく成長することだろう。心からの拍手を送りたい。

自業自得

2007-08-26 07:44:12 | はがき随筆
 近年、瞬発力はうせ動作は緩慢となる。それを見越してか、1匹のはえがやたらと足に止まったり腕に止まったり、殺せるならさあどうぞ、とからかう。若いころは手のひらで一撃したが、近ごろは0コンマ何秒差で取り逃がす。ハエ打ちをを手にするや、こいつがこともあろうに顔へ止まる。尊顔にハエ打ちなど当てるわけにはいかない。バカにしきったハエのやつ、今度は頭へと移動。な、なんと産毛数本に足をからませ身動きできなくなり難なくご用。人を見くびったやつの最期だった。
 国民の意思を手前みそ的解釈で権力の座に居座る人にも天罰は下ろう。
   肝付町 吉井三男(65) 2007/8/26 毎日新聞鹿児島版掲載

風の芸術展

2007-08-25 23:38:53 | かごんま便り

 枕崎市文化資料センター南溟館で開催中の「風の芸術展」(9月17日まで)を見た。
 全国から気鋭の作家が多数参加する現代美術のハイレベルな公募展。毎日新聞の美術担当記者を経て埼玉県立近代美術館や熊本市現代美術館の館長を歴任した故・田中幸人さんが審査委員を務めていたことも、何かの縁を感じる。
 第8回の今回は従来のコンクール方式とは趣向を変え、過去の受賞作家の近作を集めた。実に5年ぶりの開催は財政事情に加え、05年秋の放火被害による修復のため南瞑館が一時休館を迫られていたなどの不運が背景だが、どういう形にしろ「『風の芸術展』の火を消すな」という関係者の熱い思いが実を結んだことは喜ばしい。
 出品者は歴代入賞者67人のうち61人。平面作品、立体作品とも大作が多く、決して広くない展示空間の中で、圧倒的な存在感を伴って目に飛び込んでくる。ユニークな構造の木造建築のぬくもりと、大胆なデザインや奇抜な意匠との不思議な調和も楽しい。
 出品にあたり、多くの作家がメッセージを寄せている。個々の作品に込めた彼らの思いとともに、この地に一つのステップを刻んで大きく羽ばたいていった芸術家たちのその後の足どりがうかがえ、大変興味深かった。
 「風の芸術展」は地方から文化の〝風〟を起こそうと、当時の田代清英市長(故人)の肝いりで89年に始まった。「芸術を通じてのまちおこしと共に、田代・元市長には『すばらしい芸術作品にふれることで青少年に豊かな感性をはぐくんでほしい』という願いがあったと思う」と関好明館長は述懐する。当初は隔年開催の「ビエンナーレ」として、その後3年に一度の「トリエンナーレ」として02年の第7回まで続き、その後中断を迫られたことは前述した。
 南瞑館の周囲には過去の受賞作品が並ぶ。JR枕崎駅から伸びる市役所通りにも「青空美術館」と称して数々の作品が展示されている。人口2万5000人足らずの地方都市の駅頭に、これほど刺激的な町並みがあるとは思いも寄らなかった。
 「次への足固め」(関館長)として開かれた第8回展。今後の開催方式は未定というが、中央から遠く離れた小都市のハンディにもかかわらず、本物の文化事業が脈々と息づいていることを、我々はもっと誇っていい。
   毎日新聞鹿児島支局長 平山千里 
   2007/8/20毎日新聞鹿児島版掲載

田舎料理バイキング

2007-08-25 10:47:58 | アカショウビンのつぶやき


















 志布志市までFM番組取材の途中、編集担当のOさんが、
「今日は美味しいバイキング料理をごちそうしましょう」と嬉しいお誘い。
本来ならば、いつも無理難題を押しつけている私がご馳走しなきゃならないのに……。
ともあれ、食いしん坊のアカショウビンは喜んでお供しました。
しかし、山と畑ばかりが続く田舎道…。
いったいどこに「美味しいバイキングレストラン」があるんだろう……。
 着いたところは、志布志市有明町の山の中の笑和食堂。(しょうわしょくどうと読みます)
JAの経営するとってもユニークな家庭料理のバイキングレストランでした。

 メニューの豊富なことと、殆どが地元で取れた野菜であることが嬉しい。
ひとつの食材がいろいろに変身して、どれもこれも美味しそう。
控えめに取ったつもりでも、大皿にてんこもりになってしまった。
ああ、食べきれなかったらどうしよう(>_<)。
でも、いつも小食のアカショウビンが、きれいに平らげてしまいました。

 店の雰囲気もいいんだなあ。
昭和初期のものと思われる懐かしいポスターがいくつも壁に貼ってある。
「日毎ーデンサ」と右から書かれた大きな文字が時代を物語っている。
よく今まで取ってあったなあ…と驚かされた

庭の花壇には、ポーチュラカの中に、大きく成長したネギも並んでいました。

「また連れてきてくださいね」と、厚かましくもお願いしたアカショウビンでした。 

失った家族

2007-08-25 09:55:02 | はがき随筆
 よちよち歩きの捨て猫を約1年間育てていた娘家族に子供が生まれた。アパートでは子供の健康に悪いからと言って家内が無理やり引き取ってきた。捨てネコといえども、気位の高い黒ネコである。避妊手術した彼女の欠点は何でも食べてくれない。好物は白身の焼き魚。極端に人間とネコ嫌い。私どもには甘えるが、決してベタベタしない。そのくせ一人で留守番するのを嫌がる。こうして彼女との生活は16年間続いた。老衰と診断された彼女は、最後まで苦しまず眠るように去っていった。家中の柱に残した彼女のつめ跡が、今ではいとおしい。
  志布志市 一木法明(71) 2007/8/25 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はQssさんからお借りしました。

はがき随筆7月度入選

2007-08-25 09:46:41 | 受賞作品
 はがき随筆7月度の入選作品が決まりました。
△鹿児島市武2,鵜家育男さん(62)の「け忘れ病」(2日)
△山口県光市丸山町、中田テル子さん(61)の「先生ありがとう」(29日)
△出水市武本、中島征士さん(62)の「遠い日」(27日)
の3点です。

 夏祭りでにぎわう8月ですね。この暑さの中「はがき随筆」に取り組んでいる皆さんの姿が目に浮かびます。
 鵜家さんは「け忘れ病」で、忘れないよう外出に必要なものを置く場所を決めたいが、その場所すら忘れたと書きました。「け忘れ」という方言が共感を呼びますね。また別枝由井さんの「ぼけ&ぼけ」(1日)は母娘のおしゃべりの中で2人の物忘れの様子を書き、会話体で文が展開します。これらの文章は物忘れを題材としながら、それぞれ特色が面白いですね。
 中田さいの「先生ありがとう」は喜びと感謝の気持ちが書かれています。先生のやさしさもよく出ました。中島さんの「遠い日」は、2人の信頼関係がはっきり読み取れますね。小川のせせらぎが聞こえ、ウナギ釣りの様子が立体的に浮かび上がってきました。
 自分を見つめることは大変意味のあることです。東郷久子さんの「冷やし中華」(5日)は、毎日の朝食を意識したものです。上野昭子さんの「胴体着陸」(7日)は、自分が転んだいきさつを面白く前向きに描き、年神貞子さんの「烏骨鶏」(21日)は、長年飼っている烏骨鶏の様子や産卵を細かく描き、大いに喜びます。老齢の鶏に「もう頑張らなくていいよ」とことばをかけたりしています。
口町円子さんの「アメコンコン」(25日)は、1歳のお孫さんが暮らしの中で覚えたことばの行き違いを楽しんでいる様子が書かれて、何ともなごやかな文章です。
 有村好一さんの「ツーリング」(20日)は、若い時分に大型バイクの旅で出会った人たちとの思い出を、ほのぼのとした文章にまとめました。夏はいろいろな人たちとの出会いの季節でもありますね。
(日本文学協会会員、鹿児島女子短大名誉教授・吉井和子)
 係から 入選作品のうち1編は25日午前8時20分からMBC南日本放送ラジオで朗読されます。「二見いすずの土曜の朝は」のこーなー「朝のとっておき」です。


今生のかおり

2007-08-25 07:55:15 | はがき随筆
 廊下でかん腸がすむのを待っていた。「たくさん出ましたよ」と看護士さんがニコニコしながら、新聞紙包みを持って出てこられた。
 病室へ戻ると〝残り香〟がする。つい「臭いね」と窓を開け放った。
 そしてその夜、思いがけなく姑は逝ってしまった。
 人の手を借りないと、排せつも食事もできない身になった姑。〝残り香〟にそそくさと窓を開け放ったことが、姑を惨めにし、慌ただしく旅立たせてしまったのではないか。「これ以上、嫁たちの手を煩わせたくないと思ったのだろうよ」と夫は言うが……。
   出水市 清水昌子(54) 2007/8/24 毎日新聞鹿児島版掲載

弦のひびき

2007-08-23 13:20:21 | アカショウビンのつぶやき




演奏を終えてホッと…笑顔の団員たち




 かのやオーケストラの第6回定期演奏会に行って来ました。
それぞれの楽器が奏でる美しいハーモニーは胸のうちに響き、豊かなひとときを過ごしました。

第1曲は、モーツアルトのディヴェルティメントヘ長調。
室内楽をこよなく愛した亡夫がいつも聞いていた懐かしい曲。
響き合う弦の音色は美しく、よくここまで練習したなあと感動。

第2曲は、シューベルトの交響曲第7番ロ短調「未完成」。
私たちが若い頃は大作曲家や名曲をテーマにした名画が数多く、
ハンス・ヤーライが主演した「未完成交響楽」は何回見たことだろう。
若き日を思い起こしつつ、繰り返し演奏される主題に酔いしれていた。

最後はベートーベンの交響曲第1番。
28歳のベートーベンが作った若々しい曲。あまり馴染みのない曲だが、やはりベートーベンらしい重厚さを感じさせる曲だった。

この鹿屋の地で、6年間地道に練習を重ね、私たちの誇るべきオーケストラとして成長を続ける「かのやオーケストラ」。
これからの更なるご活躍を祈りつつ会場をあとにした。


解体の日

2007-08-23 13:19:53 | はがき随筆
 40年余り人生の最も苦労との戦いの中で住んできた住居を解体する日がやって来たのです。早朝、まだ明けきれぬ小庭から家財を出し終えてがらんとなった家の中へ。台所、居間、寝室、子供部屋など、過ぎし日の喜怒哀楽が走馬灯のごとく頭の中をかけめぐってくるのです。神棚の前に座して、つつがなく暮らすことができたお礼と感謝を拝礼していると熱いものがこみ上げてくるのを禁じ得ませんでした。帰り際、目頭を押さえてじっと立っている末娘を見た時、門ごしの朝露にぬれたアジサイから落ちてくる滴の玉を複雑な思いで追っていることでした。
   鹿児島市 春田和美(72) 2007/8/23 毎日新聞鹿児島版掲載

幸さん

2007-08-22 07:16:48 | はがき随筆
 3年前、いとこの幸さんをグループホームに訪ね、尽きぬ話に時を忘れて語り合った。別れがたい思いで互いに見えなくなるまで手を振ったあの日が、この世の別れになってしまった。
 母が病弱だった私は、12歳年上の幸さんにおんぶされ、どんなにお世話になったことか。私が小学1年の時、農家に嫁がれたが、婿の始さんは幸さんの実家の稲刈りを一晩で済ますほどの働き者で良き婿殿だった。しかし終戦間近に戦死。幸さんは女手一つで3男2女を立派に育て上げた。多くの孫やひ孫に囲まれた90歳の生涯はその名のごとく幸せであった。
   鹿屋市 徳永ナリ子(80) 2007/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載

千羽鶴

2007-08-21 09:30:07 | はがき随筆
 甲子園に出場が決まった県代表の高校に千羽鶴を送ろうという新聞広告を見た。折り紙は楽しい。一枚の紙でこんなものも作れるのかと感心するような作品もある。この鶴を文様として書かれたものは美しく、お腹を膨らませて翼を広げた姿は、今にも飛び出さんばかりだ。千羽鶴にする都合上、首は折らないでください、翼も開かないでくださいと広告にある。翼を開かないで重ねられた折り紙は、私には明るいイメージがない。身障者の義妹がいたころ、いつも折っていたから。もしかしたら良くなるかもしれない期待をこめて。
   中種子町 美園春子(71) 2007/8/21 毎日新聞鹿児島版掲載

二つの恐怖

2007-08-21 07:40:53 | はがき随筆
 6歳のころ住んでいた熊本県荒尾市が夜、B-29の爆撃を受けた。家の防空壕に避難していると、近くに爆弾がドカンドカンと落ちてごう内が揺れ、外がパッと明るくなった。父が「隣の家がやられた。戸は開けるな!」と叫んで外に出た。しばらくすると「アケテクダサイ」と請いながら男が戸をたたく。身重の母が妹を抱きしめ、2人の兄に「かんぬきを押さえて」と指示した。男はあきらめて立ち去ったが、体の震えが止まったのは父のすすけ顔を見たあとだった。炭坑から逃げた朝鮮人の悲しい声と、空襲の恐ろしさは今も忘れられない。
   出水市 清田文雄(68) 2007/8/20 毎日新聞鹿児島版掲載

認知症と介護

2007-08-19 19:14:46 | かごんま便り
 先日、鹿児島市でシンポジウム「認知症と介護保険」(ぼけ予防協会、毎日新聞社など主催、アフラック協賛)が開かれた。行政や医療・福祉などさまざまな立場の専門家によるパネルディスカッションは示唆に富むものだった。
 「認知症の人と家族の会」県支部世話人代表の水流(つる)涼子さん。社協職員として長年、高齢者問題とかかわる一方、自身も約20年、義母の介護にあたった。世話をする側、される側双方を熟知しているだけに発言には説得力があった。
 「『認知症のお年寄りだから……』というふうに偏見で見がちですが、認知症を個性として見てほしい。一人の人として見ることが大切」と水流さん。「施設に入れると、家族は『自分たちは介護を放棄した』との思いに悩まされる」とも。お年寄りとその家族への温かいまなざしが印象的だった。
 特別養護老人ホーム「泰山荘」施設長の牧政雄さんは介護職員の待遇向上を力説した。「私は職員を大事にします。大事にされた職員は必ずお年寄りも大事にする」。会場から拍手がわき起こった。
 昼夜交代制の勤務、精神的にも肉体的にも重労働だが、その割に賃金は驚くほど安い。少子高齢化でお年寄りは増加の一途、片や介護の担い手となる世代は減っていく。高齢者福祉の仕組み全体を抜本的に見直さないと取り返しのつかないことになる。牧さんの訴えには心底考えさせられた。
 老いは誰にでもやって来る。だが自分の老後はもちろん、ほんの少し前まで親が老いることさえ切実に考えたことはなかった。考えることから〝逃げて〟いたのかもしれない。
 郷里に残した私の母は79歳。脳こうそくで半身不随になった父を献身的に世話していたが、2月に父が亡くなって以来、目に見えて老け込んだ。最近は物忘れや勘違いもしばしばで、先行きが少々不安である。
 いずれ一人で住まわせられなくなったらどうするか。妻の介護を理由に職を辞した市長がいたが、私も同様の決断を迫られる時が来ないとも限らない。
 「家族の会」の全国研究集会が10月に鹿児島市である。詳細は後日、紙面でご紹介するが、いずれ間違いなく介護の当事者となる現役世代の一人として、貴重な話をたくさん聞かせて頂きたいと心待ちにしている。
   毎日新聞鹿児島支局長 平山千里
2007/8/14 毎日新聞鹿児島県版掲載

ツーショット

2007-08-19 07:40:52 | 女の気持ち/男の気持ち
 半年かけて準備した高校の同期会は無事に終わった。出来上がった集合写真と、各人が撮った写真を封筒に入れてそれぞれに送った。
 同期会当日、私はデジカメを持って早めに会場に出かけた。開宴中は、世話役であることなどを忘れ、懐かしい友を探し旧交を温めて歩いた。しばらくして自分の席に戻ったとき、後ろから私の名を呼ぶ女性の声がした。振り向くと、中学で同級であったNさんだった。美人で才媛だったが、今も美しい人だった。
 高校時代、Nさんのファンは多かったという。私もその一人だったが、ひそかに思っているだけで、何ごともなく高校生活は過ぎ今日に至っていた。
 隣の席に座り学生時代の話をしたが、どうも落ち着かない。声が上ずる。昔の淡い思いをそまのの引きずっているかのようで、自分でも変なのが分かる。
 その時、数人の友達がやってきた。「おお、ちょうど良かった。写真を1枚撮ってくれないか」。私のデジカメを渡し、Nさんとの初めてのツーショットを撮ってもらう。「おい、顔が赤くなっているぞ」と冷やかされつつ写真に納まった。
 プリントした何枚もの写真をそれぞれの封筒に入れて発送した。その中の1通に私はNさんとのツーショットをそっと入れた。
  山口県岩国市・工房主宰 沖 義照(65) 
  2007/8/19 毎日新聞鹿児島版「男の気持ち」掲載