昭和16年の真夏、畑で大豆引きと運搬作業に汗した。午後になって頭痛に襲われ寝込んでしまった。父母の懸命な看護も効果なく、ついに40度の熱にうなされる。もう苦しみもなく夢心地であった。田舎で氷もなく、裏山のわき水で昼夜、冷やし続けた。
当時の開業医、M先生が町から10㌔の悪路を自転車で往診して下さった。熱射病と診断。何回か往診を受けるうちに熱も下がり徐々に回復に向かった。
やっと起き上がったのが30日ぶり。高熱で脱毛し、いがぐり坊主になった。父母の献身的な看護とM先生のドクター魂に救われ、今の私がいる。
霧島町 楠元勇一(80) 2007/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載
当時の開業医、M先生が町から10㌔の悪路を自転車で往診して下さった。熱射病と診断。何回か往診を受けるうちに熱も下がり徐々に回復に向かった。
やっと起き上がったのが30日ぶり。高熱で脱毛し、いがぐり坊主になった。父母の献身的な看護とM先生のドクター魂に救われ、今の私がいる。
霧島町 楠元勇一(80) 2007/8/27 毎日新聞鹿児島版掲載