はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

ヒルの親子

2007-08-19 07:26:14 | はがき随筆
 ヌメヌメして黒っぽいひも状の生き物が地をはっている。
 「うわー」。山で、足の血を吸われた嫌なヒルだ。
 よく見ると、頭部がT字型をした、長さ10㌢ほどのヒルの傍らに、小さいヒルが寄り添うようにはっている。母と生まれたての赤ちゃんに違いない。
 梅雨末期で、ヒルのいた小屋に雨水が浸入し始めていた。母は、ゆっくりゆっくり、子を振り返るようにはっている。
 なんという優しさだろう。嫌な思いを変えさせた。住みやすいところに導く母ヒルの愛に、私は感激した。
   出水市 小村 忍(64) 2007/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載

夢ばあさん

2007-08-18 23:18:58 | はがき随筆
 デパートの洋服売場。洋装店のあの華やかな雰囲気が好きで、よく足を運ぶ。色あいやデザインの気に入ったのをみつけ、胸をワクワクさせて試着する。
 今日はワンピースを求めて、あちこち見て回っていたら、あった。イメージ通りの品が。さっそく試着。
 あれっ、きつい。どうにか着られたがあまりにもきちきち。脱ぐのもやっとという感じ。バスト部分がすぺて腹部にずり落ちてポッコリ腹に。
 こんなひどい体形で、よくもあんなにすてきな服を欲しがった私は、夢みる夢ばあさん。
   鹿児島市 馬渡浩子(59) 2007/8/18 毎日新聞鹿児島版掲載

ストレスのかわし方

2007-08-17 07:59:26 | 女の気持ち/男の気持ち
 女も50の坂を越えると、遠出のウオーキングなどから帰ってきた後、膝が痛む。夕食後のひととき、「こんなひざの痛みになんか負けるものか」と、ついひとりごちた私のそばで、夫が「勝つようにして下さい」とポツリ。
 そのあまりのタイミングの良さに、思わず腹の底から笑ってしまった。
 夫が退職後、終日家にいるようになってから、すっかり私の生活のペースは崩れてしまっていた。笑うことも自然となくなり、まゆとまゆの間には深いシワが現れた。れが先輩たちが言うところの「在宅症候群」というやつだなと、最近思い出した。
 夫が「コーヒー」と言うと、私は「ご自分でいれても罪には問われません」と返す。真っ向からは刃向かわない。ジョークも入れ、まあまあ目をつむるところは目をつむる。あまりに干渉してくる夫には「長い間のあなたへのケアで、心遣いは使い果たしてしまいました」と、こちらの気持ちをはっきり相手に伝える勇気が今こそ必要なのだ。
 夫にしてみれば、勤めからのストレスより解放され、ほっとした時期に次なる強力な妻というストレスを抱え込むことになるのだろうが……。必要なのはユーモアという心の潤い。最後の決め手はお互いへの思いやりかな?
  大分県由布市 大下モト子(50)
  2007/8/17毎日新聞鹿児島版「女の気持ち」掲載

除草

2007-08-17 07:45:22 | はがき随筆
 菜園の除草は早朝から10時ごろまでが限界。猛暑続きでも雑草の繁茂には驚くばかり。娘に上等の除草鎌を買ってもらい能率的である。更に左利き用も買ってもらい「切味保証」のレッテル通りの使いやすさ、切れ味申し分なしの感。鍬、鉈などは右・左利き用は見ないので、娘に聞いて助かった。過ぎし日、畑の畝作りを亡き長兄に習った。鍬は左右使えないと能率が上がらないと言って、左右使用の練習を重ねた思い出が懐かしい。今年のような酷暑の畑仕事は熱中症に充分な気配りが肝要である。
   薩摩川内市 下市良幸(78) 2007/8/17 毎日新聞鹿児島版掲載

悲しみの詩

2007-08-16 18:45:42 | 女の気持ち/男の気持ち
ある日、私は一編の詩に心を奪われた。それは杉山平一の「よもぎ摘み」という短い詩である。
  戦争へ行ったまま4年になるのに
  良人はまだ帰ってゐなかった
  彼女はその日よもぎを摘みに出た
  一番末の子をおんぶして
  八つの姉娘と五つの子は家で絵本を見て乏しい昼餉を待っていた
  …………
 私はその詩を何度も読み返した。よもぎ摘みの最中、母親は幼い子供たちを残したまま、電車にはねられ死んでしまうのだ。戦地から帰らぬ夫を待ち続け、あまつさえ食糧事情も乏しい戦時下に、3人の幼子を抱え、必死に生きる母親。
 素直な子供たちは、おなかを空かしながらも、おとなしく母親の帰りを待っていたのだろう。情景が目に浮かび胸が詰まった。
 戦争がもたらす不幸は、貧しさに追い打ちをかける。
 何のため、誰のための戦争なのか。
 過酷な時代を生き抜いた人でなければ、真の苦しさは分からないだろう。
 戦後に生まれ、2人の子の母親として今思うこと。それは、再び軍靴の響きが聞こえることのない世の中であってほしい。切にそう願う。
   長崎市 斉藤敬子(58)2007/8/16 毎日新聞鹿児島版「女の気持ち」欄掲載

退職その後

2007-08-16 08:35:30 | はがき随筆
 今年、夫は65歳。退職したころはパソコンで勉強しながら趣味の囲碁三昧。碁盤に碁石をパチリ、パチリと打つ音が響く。ふとその音がやんだ、と思うまもなく「ふーっ」と太く長いため息が。それは日に何度もくり返されたが、私は黙っていた。
 4年の間に畑作、家事、講座学習が加わった。特に市主催の「男性のための料理教室」は3年目に。レシピを見つつ作ったみそ汁も、今では畑で育てた野菜で、具だんさんのものを手早くできる。今回も、次男が高校の家庭科で作ったエプロンを持って教室へ。
 「レパートリーがまた増えるね」
  いちき串木野市 奥吉志代子(59)2007/8/16 毎日新聞鹿児島版掲載

藁の寝床

2007-08-15 10:29:21 | アカショウビンのつぶやき
 今日は敗戦記念日。私の中にある8月15日は、どう考えても「敗戦記念日」なので、敢えてこう言わせてもらおう。
 電気もない疎開先で戦争が終わったらしいと聞いた母は、真偽のほどを確かめるために、娘3人と生後五ヶ月の孫を伴って鹿屋に帰ることにした。

 久しぶりに我が家に帰ってみると戦争は終わっていたが「近いうちに米軍が高須に上陸するらしい」との噂。不安な夜を過ごしていると「今夜中に逃げなさい」とふれが回ってきた。慌ただしく荷物を纏め上の姉は子供をおんぶし、14歳の姉と12歳の私は、寝ぼけ眼をこすりながら、母の後について家を出た。
 その時は鹿屋市の街中が空っぽになったというほど、暗い夜道をリヤカーを引く人、黙々と歩き続ける人がどこまでも続いていたと言う。

 私たちは疎開先の牧之原町まで帰ることになり、昼頃、T町の知人宅を訪ねて仮眠を取りおにぎりを一杯頂いて、夜明け前に出発した。
 炎天下、乳飲み子を抱えて歩き続ける私たちは、多くの方々のお世話になった。海軍の兵士たちは、軍隊がストックしていた、牛肉の缶詰や果物の缶詰などを一杯リヤカーに積んでいたが、おにぎりと替えて欲しいと言う。今まで見たこともない牛肉の缶詰やみかん缶の美味しかったこと…。

 その夜は市成、ここには知り合いもなく、家畜小屋の藁の中に寝させてもらった。疲れ果てた体を藁に埋め熟睡したが、夜中に体中が痒くなり、泣いたことを思い出す。
 疲れてぐずる子供たち、窮屈な姿勢で乳飲み子を抱いて疲れ果てた姉、母はどんなに叱咤激励しながら60㌔以上ある道のりを歩き続けたことだろう。
 気丈な母だったが、ようやく海が見える場所に出たとき「もう少しだよー」と涙を流して私を抱きしめてくれた。

 各地で戦禍にあい、弾丸を避けて逃げ惑う人々を見ると、その時の我が身とオーバーラップして怒りが込み上げてくる。
 いつも弱い立場のものが益々追いつめられていく不幸。
 聖戦なんてありはしないのだ。

 あの時の藁の寝床のチクチク痛かった思い出を忘れてはならない! と今年も心に誓った。



娘と私の幸せ

2007-08-15 10:13:06 | はがき随筆
 夫が入院中で、10歳の一人娘と2人暮らし。でも、楽しいことはいっぱいある。
 節約のためクーラーを止めたムンムン暑い台所で、2㍑分の麦茶を作り、ブツブツとわいてくるまで2人でじーっと見ている幸せ。さか立ちできない娘のために、30年ぶりにさか立ちをして見せ、その成功よりも「母ちゃん、パンツが見えてる。ギャハハ」と笑われ、つられて笑いころげる夜。
 時々、父ちゃんが「ただいま!」と帰ってくる気がするネと2人で話す。夫が帰ってくる日を待つ〝幸せ〟というのもあるのだと思う。
   鹿児島市 萩原裕子(55) 2007/8/15 毎日新聞鹿児島版掲載

悲しい記憶

2007-08-14 13:35:46 | はがき随筆
 今宵は照明弾も焼夷弾もなく戦を忘れさせてくれる美しい月夜。宿泊している巡洋艦の乗員の青年たちは故郷の母や家族を語り合った。別れ際に空を仰いだ瞳に月が映え一筋の涙。私はその夜なかなか眠れなかった。
 翌日、停泊中の艦は集中攻撃を受け自爆のおそれが生じた。退艦命令はでない。弾薬庫の中の彼らを救出できないままハッチは閉められ、自爆は免れたが、赤く染まった海は帰らぬ人々の山だ。
 六十年経ても、夏がくると、瞳の中の月と赤い海の悲しい記憶がよみがえる。
   薩摩川内市 上野昭子(78) 2007/8/14 毎日新聞鹿児島版掲載

初盆にむけて

2007-08-12 08:30:02 | はがき随筆
 5月8日、93歳の母を亡くした。初盆に備え棚を整理していると、母が生前つけていた日記が出てきた。辛抱人らしく新聞チラシの裏を数十枚とじ、それに書かれていた。数冊あった。
 私は50歳まで28年間、母の手伝いのもと小さな美容室を営んでいた。日記は、1人しかいない孫が希望の大学に合格し天にも昇るほどうれしかった日のこと、今日はお客様が多くて本当によかった、今日は少なくて自分の洗髪をしてもらった……など、ほとんど毎日つけてある。涙して読んだ。母のつたない時が私の一番の宝になった。私を生んでくれて本当にありがとう。
 薩摩川内市 江口とみ子(58) 2007/8/12 毎日新聞鹿児島版掲載

タイムマシン

2007-08-12 07:36:46 | はがき随筆
 「しぱらく会っていないよね」の電話で、「そうだ。またみんなで会おうよ」となる。2週間後の未来が、待ち遠しくてならない。
 タイムマシンに乗って、小学生に一足飛び。土のにおい。夕立の強いリズム、昆虫や草や木との戯れ。みんな虫のように、自然の中に溶け込んでいたような仲間。
 そして15人が集まった。しゃべる、笑う。涙が出るくらいおかしな発掘話題。記憶をたどって爆笑の渦となり、時間がなぜか早く過ぎてゆく。
 次回の切符は、いつ予約すればいいですか。
   阿久根市 徳丸伸子(54) 2007/8/11 毎日新聞鹿児島版掲載

忘れない日々

2007-08-10 10:43:41 | はがき随筆
 私の脳裏からはなれない8・10。昭和20年8月10日、太平洋戦争の終戦の5日前、空襲で熊本の生家が焼失し、思い出の品も何もかもなくなってしまった日。あの時の悲惨だった状況だけは、今も鮮明に覚えている。
 戦後、経済は高度成長期を迎え、無我夢中で過ごした何十年の思い出は、大事に私の心の中に。証しとして手元にもたくさん持っている。
 年を重ねるごとに記憶は薄れつつあるが、なぜかこのごろ、失ってしまった14歳までの「自分」を知りたい。
昭和初期の思い出なつかしむ
    平成の幸ねがいもとめて
  出水市 池田春美(76)2008/7/8/11 毎日新聞鹿児島版掲載

立秋

2007-08-09 15:18:08 | アカショウビンのつぶやき

秋の気配が初めて現れると言う意味の「立秋」。

この酷暑の中で秋を気配を探してみました。

今日も気温は高いのですが、風が涼しく、心なしか、空が高く感じられ
ちょっぴり秋の気配がただよっています。

そして庭の隅では「タマスダレ」が咲いていました。
毎年この花が開きはじめると、
「ああ、秋はそこまで来てるんだ…」とホッとします。

残暑…なんてものじゃない暑い日が、まだまだ続きますが、
タマスダレに癒されながら、本当の秋の到来をひたすら待ちましょう。

暑さにバテ気味のアカショウビンでした。

とべるといいね

2007-08-09 10:35:44 | はがき随筆
 けさ台所から外へ出ると、踏み石に何かしがみついている。近寄ると、セミが脱皮中だった。涼しいうちにと出てきたらしい。頭部を脱いで「片手」を出し、その手でしがみついている。
 セミの脱皮は、チョウより長くかかる。朝の散歩へ出て、帰ってもまだ同じ状態である。がんばって、がんばってと応援しているうち、手が放れてころげ落ちた。そっと拾って桃の幹へ移す。10時になっても、がんばっていた。
 午後、孫のところへ持っていくと、ちょっと手伝って殻を脱がせ「羽が小さいよ」と図鑑で調べ始めた。
   鹿児島市 東郷久子(72) 2007/8/9 毎日新聞鹿児島版掲載
写真はWisteriaさんからお借りしました。

かつおのづけ丼

2007-08-08 09:06:51 | はがき随筆
 男の料理教室で習得した「かつおのづけ丼」を我が家で実践しました。
 カツオを刺し身より薄く切り、作っておいたタレにつけます。丼にいりゴマ(白)を混ぜたご飯、千切りのシソ、タレにつけておいたカツオ、ミョウガの薄切りを載せ、カツオを取り出した後のタレをかけて出来上がりです。
 講習のときと同様に、おいしくできました。カミさんもびっくりです。
  講習通りに5人分作り、ご近所の方にも味わって頂きました。これが大好評。早速レシピのコピー注文がきました。私の料理が種子島の「向こう三軒両隣」を揺るがしました。
   西之表市 武田静瞭(70) 2007/8/8 毎日新聞鹿児島版掲載