「父さん、どれにする?」
促す私に父は震える手で1枚の写真を指さした。
「よう写っとる。これがいい」
そう言うと、かすかな笑みを浮かべた。
痴呆の進んだ父が一瞬正気に戻った時の出来事だった。
半月後、父自身が決めた写真が遺影となり、祭壇を飾った。
あれは8年前の晩秋。父の死が近いことを悟った私は一大決心をし、オムツをあてた父を車に乗せて、父の青春の輝きの地、そして誇り高き海軍軍人として過ごした佐世保へと車を飛ばした。父の遺影を撮るためである。そして錨のモニュメントがある公園を見つけた。
ファインダーをのぞくと、雲ひとつない青空の下、錨の台座に腰を下ろし、海を眺めるとても穏やかな顔をした父がいる。背の向こうには佐世保駅の「させぼ」の宇もはっきりと見える。私は確信した。ここだ、ここしかない-と。
後日、焼き上がった十数枚の写真を前に父に話しかけた。
「父さん、死は順不同。気に入った写真を用意していたら安心して長生きできると思うよ」と。親子として向き合った今生の別れの写真だった。
何の孝行もできなかった私であるが、父自身が決めた遺影を飾ってあげることができた。それが、せめてもの自分への慰めとなっている。
北九州市若松区 安元 洋子・59歳 2010/8 毎日新聞女の気持ち欄掲載
促す私に父は震える手で1枚の写真を指さした。
「よう写っとる。これがいい」
そう言うと、かすかな笑みを浮かべた。
痴呆の進んだ父が一瞬正気に戻った時の出来事だった。
半月後、父自身が決めた写真が遺影となり、祭壇を飾った。
あれは8年前の晩秋。父の死が近いことを悟った私は一大決心をし、オムツをあてた父を車に乗せて、父の青春の輝きの地、そして誇り高き海軍軍人として過ごした佐世保へと車を飛ばした。父の遺影を撮るためである。そして錨のモニュメントがある公園を見つけた。
ファインダーをのぞくと、雲ひとつない青空の下、錨の台座に腰を下ろし、海を眺めるとても穏やかな顔をした父がいる。背の向こうには佐世保駅の「させぼ」の宇もはっきりと見える。私は確信した。ここだ、ここしかない-と。
後日、焼き上がった十数枚の写真を前に父に話しかけた。
「父さん、死は順不同。気に入った写真を用意していたら安心して長生きできると思うよ」と。親子として向き合った今生の別れの写真だった。
何の孝行もできなかった私であるが、父自身が決めた遺影を飾ってあげることができた。それが、せめてもの自分への慰めとなっている。
北九州市若松区 安元 洋子・59歳 2010/8 毎日新聞女の気持ち欄掲載