はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

スクーターで往診

2011-03-15 17:56:51 | 岩国エッセイサロンより
2011年3月 9日 (水)
   岩国市   会 員    片山 清勝

 私が中学2年の時、学年末試験初日の深夜、突然、腹が猛烈に痛くなった。心配した父は町内に一軒だけの医院に向かって自転車で走った。

 ほどなくして外にスクーターが止まる。先生が入ってきて丁寧な問診と診察、注射。父は薬を取りに、もう一度医院へ。痛みは朝までに消えた。冷たい風の吹く冬の深夜、いとわず往診してくれた町のお医者さん。亡くなられるまで家族でお世話になった。医院の看板は今はないが、家の外観は変わっていない。

 今のような救急制度の無い頃、地方の町では「お医者さん」と尊敬語で呼んだ。そうした医師の献身的な働きに救われた人は多い。日頃から診てもらっている、診ているという安心と信頼の絆が育っていた。近くに救急病院のない時代、50年以上も前のことだが、住んでいた町の医院のありがたさを思い返す。

 今は遠くに近くに、救急車のサイレンを聞かない日はない。多くの家の家庭医として、往診に使われていたスクーター。タッタッタッという軽快で静かな音が懐かしい。

  (2011年03月09日 朝日新聞「声」掲載)岩国エッセイサロンより転載

「感謝の日々を」

2011-03-15 17:52:16 | 岩国エッセイサロンより
2011年3月15日 (火)
   岩国市  会 員   檜原 冨美枝

私は貧血症で寒がりで疲れやすい。そうかといって大病をしたことはなく、なんとか生きてきた。ただ、年を重ねるごとに耳が遠くなり、周囲に迷惑をかけている。私のことをよく知っている人は講演の時などは通訳をしてくれる。

 でもいつまでもそれに甘えるわけにはいかない。外出も控えないといけないと思うが踏ん切りがつかない。 

 でも、目が悪くならなくて良かったと思う。時折、物静かな主人との会話の中で聞き取りにくいことかあり、癇癪(かんしゃく)を起こすぐらいのことだ。これからは、癇癪の「く」の字をのけて、感謝の日々にしよう。

2011.03.15 毎日新聞「はがき随筆」 岩国エッセイサロンより転載

その日

2011-03-15 14:16:20 | ペン&ぺん
 繰り返されるテレビ映像に息をのみ、言葉を失った。
 11日午後、東北地方を襲った巨大地震。船や車や家屋を押し流す津波。田畑やビニールハウスが続く農地を覆っていく。避難を急ぐ車。そのあとを追うように黒褐色の津波が迫る。ヘリコプターから撮影した映像だ。
 小中学生時代、宮城県仙台市の近郊で過ごした私にとって、そこは懐かしいはずの場所だった。自転車で友だちと駆け回ったことなどを思い出す。
 「落ち着いて行動してください。高台に避難してください」。そうアナウンサーが繰り返す。高台? 中学生が自転車で海辺まで行ける平地だ。田んぼや畑が続いていたはずだ。高台などあった記憶はない。
 やがて津波は、鹿児島の沿岸部にも達した。翌12日は九州新幹線全線開業の日。JR九州などの記念式典や祝賀行事が中止になったとの連絡が次々に入った。記者の取材配置や紙面取りを再検討する。
 深夜も、震災報道は続く。死者・行方不明者の数が増えていく。福島第1原発で放射能漏れの恐れがあり、周辺住民に避難を求めているとの情報が流れる。
 どのチャンネルも燃え続ける街並みの画像を映し出す。自衛隊のヘリコプターが上空から撮影したものだ。
 夜が明けた。12日朝。テレビから、聞き覚えのある地名が繰り返し流れる。多数の死者が出ている被災地の名。今年の正月に届いた年賀状を取り出し、友人の住所を確認する。同じ地名だ。
 JR鹿児島中央駅から新幹線の「一番列車」が出発した。鹿児島から青森まで、新幹線でつながるはずのその日。東北新幹線は震災で全線運行を見合わせている。
 鹿児島の沿岸では、フェリーなど客船が港に近づけず、沖合に停泊したまま。津波警報が解除されないためだ。記事を短く本社に送った。
  鹿児島支局長・馬原浩 2011/3/14 毎日新聞

春を待つ心

2011-03-15 11:38:46 | はがき随筆

 3月弥生の声を聞くと、春を待つ心の思いが明るい気持ちに満たされ、耳に響いてくる。今年の冬は、久しぶりの厳しい寒さ。北国に住む方々の冬の暮らしに思いをはせることが多かった。
 もうすぐ喜寿を迎える今日このごろ。一日一日がとても、愛おしい。野原には、あちこちにタンポポ、レンケ草が咲き始めている。昨年、植えた球根も小さな目を出している。
 日差しが強くなるにつれて、エネルギーが満ち、新しい自分になれるような気がする。美しい自然に感謝し、桜の開花を待ちながら春を待っている。
 出水市 橋口礼子 2011/3/15 毎日新聞鹿児島版掲載

一膳

2011-03-15 11:35:33 | はがき随筆
 「えっ~、今日もこれ?」と不満顔の私。「毎日、一緒で悪いね」と母の言葉。今晩もタマネギのみそ汁と目刺しの晩ご飯だった。「戦地では今度いつ食べられるか分からなかった。目の前に出された食事を感謝して食べた」
 普段は寡黙で厳格な父が口を開いて戒めた。私が10歳時の我が家の風景だ。
 社会人になり外食が増えた。味付けが口に合わなくても、注文した料理はきれいにいただいた。ラーメンのスープも飲み干す。調理してくれた人と食材の「いのち」に感謝を込め、亡き父母へのわびの心でいただく。
  鹿児島市 吉松幸夫 2011/3/14 毎日新聞鹿児島版掲載

あな うれしや

2011-03-15 11:32:16 | はがき随筆
 黒の瀬戸大橋を目の前にツワブキやスイセンの花が咲く里に住んでいるタケ子さん。栃木県にある生家に行ったり、長島に帰ったりして優雅です。彼女は、きもの分限者でもあります。
 「これ、いる? 着るんだったらあげるよ。持っていきな」
 優しい栃木なまりで、プレゼントしてくれます。
 先日、まるで竹久夢二の画集から出てきたような、薄紅色の地に黒色の縦じまが染められた着物をいただきました。
 「裄も身丈も私にピッタリ。太めの姿もいいわねぇ」
 鏡の前で、ごきげんです。
  阿久根市 別枝由井 2011/3/13 毎日新聞鹿児島版掲載

東北巨大地震

2011-03-12 21:49:17 | アカショウビンのつぶやき
何ということでしょう。
ついこの前、ニュージーランド地震で夢と希望を断ち切られた若い方々の悲惨な結果に胸を痛めたばかりでしたが…。
東北地方の大きな津波の被害には言葉もありません。

まるで生き物のように濁流が押し寄せすべてを飲み尽くしていく津波の恐怖に、人間の無力さを痛感せざるをえませんでした。

まだ手を付けることさえできない、壊滅状態の被災地の皆様に、一日も早い救援の手が差し伸べられますようにと心からお祈りします。

夜が明けて改めて目にした津波被害の惨状は目を覆うばかり…。
寒さと疲労の中で夜を迎える被災地に容赦なく緊急地震速報が出されています。
早くおさまってほしい…。
少しでも明るい明日を迎える事ができますようにと心よりお祈りします。


震源地から遠く離れた鹿児島まで、この地震の影響は及びました。ここ大隅半島はかねてから陸の孤島と言われる利便性の悪い土地です。
錦江湾を運航する桜島・垂水フェリーの両社が地震直後から止まってしまいました。完全にアウトです。
そして今日は鹿児島県民が待ちに待った、九州新幹線の全線開通の記念すべき日だったのですが、すべての行事がキャンセルになりました。

by アカショウビン

電子書籍

2011-03-12 21:43:42 | はがき随筆
 2月の誕生日で還暦を迎え、娘ら家族から、電子書籍読み取り機が祝いにと贈られた。趣味が本と文房具という、私の嗜好がうまく組み合わされた物だ。
 サイズは新書版の大きさ。画面を左右になぞるとページがめくれる。右上をタッチすると、端が折れた形が表示され栞の役を果たすなどの機能付き。老眼にとって文字の拡大もいい。
 早速ネット上の電子図書館から、著作権が消滅した作品をダウンロード。あやかしの小説家、夢野久作、小栗虫太郎らの著作を無料で手に入れた。しし新刊本も読みたく、うれしい悩みをくれたプレゼントだ。
  鹿児島市 高橋誠 2011/3/12 毎日新聞鹿児島版掲載

お茶

2011-03-12 21:38:30 | はがき随筆
 大きな薬缶に売ってるお茶っ葉と同じだという葉を入れ、湯を注ぎ、傍らの桶の中につけてぐるんぐるんと回して注ぐお茶は若みどり色。買って帰って、そうなるものと試してみるが、あの色は出ない。
 違いは、お湯の温度、茶葉の開き具合、湯のみの白さだろうか。
 毎朝、沸いた湯を茶こしの茶葉にかけ供える。その時の香りのうるわしさは、折々感じている。新緑のころは、ひときわかぐわしいものである。なのに色は若みどり色とは言えない。
 お茶のいれ方一つできない私です。
  鹿児島市 東郷久子 2011/3/11 毎日新聞鹿児島版掲載

けなげな腎臓

2011-03-12 21:33:03 | はがき随筆
 今月の検査結果もまあまあ。学生時代から検診のたびに尿タンパクで引っかかり、再検査に呼び出されては経過観察に。
 就職すると数年たたぬうちに私の腎臓は悲鳴をあげた。安静にして減塩・高タンパク食のごちそうを食べる入院生活を送った。同室の透析患者の粗末な食事を見て「いつか私も」と恐れおののいたものだ。
 あれから三十数年。安静、安静と怠け癖のついた私と違い、腎臓は今日もけなげに働いてくれている。そんな腎臓に私がしてやれることは減塩だけだと、私の不摂生を見抜いたかのように医師は念を押した。
  出水市 清水昌子 2011/3/10 毎日新聞鹿児島版掲載

トムとジェリー

2011-03-12 21:28:07 | はがき随筆
 夕方、歯医者からの帰り、信号待ちの列に並んでいた。口中がしびれ、ぼんやり外を見ていると、白黒のネコが飛び出し、横切った。
 対向車線の真ん中にネズミがいる。ネコはしまったと素早く向きを変え、腰を引き、ツメを立てて、悔しげに目を丸くしてにらんでいる。車が来ると知ってか、なかなか捕まえに戻ろうとしない。
 意外な場所で思いがけない動画を見て、その成り行きにハラハラ……。
 信号は青になり、気がかりなトムとジェリーの姿は、とうとう見えなくなった。
  薩摩川内市 田中由利子 2011/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

有り難き日々に

2011-03-08 11:41:45 | はがき随筆
 この3月で、49年間の教職生活。その間に無職の日々もあった。今から49年も勤務しなさいと言われると、気持ちも動転するであろう。今日までも、ずっと続けられたこと、いき環境に恵まれた。
 4月以降、生き方は分かっていないにしても、あと1年で満50年になる。72歳になってしまう。ここまで勤務できたこと、神仏人の恩恵であろう。
 月1回の神社参拝・墓参りが恵みをつくり出してくださっている。そう信じて人間として自分として努めている。有り難き日々に感謝している。
  出水市 岩田昭治 2011/3/8 毎日新聞鹿児島版掲載

有尾さんのこと

2011-03-08 11:31:05 | はがき随筆
 先日亡くなられた有尾さん。初めてお目にかかったのは、かれこれ7年前のペンクラブ総会の時。入会したその日で、借りてきた猫というよりオオカミのオリの中に放り込まれたウサギの心境でした。たまたま隣にいた有尾さんが声をかけてくれ、その後も年2回の会であいさつを交わし、近況を語り合い、3年前には会計を引き継ぐことになった。
 これも何かの縁と思う。あの時、引き受けておいて本当に良かったと思う。会存続のためには支える人が必ずいるわけで有尾さんの功績は大きい。
 ご冥福をお祈りいたします。
  志布志市 若宮庸成 2011/3/7 毎日新聞鹿児島版掲載

ジョウビタキ

2011-03-08 11:19:40 | はがき随筆


 夜明け前、いつもと違う野鳥の声で目が覚めた。そーっと窓を開け目を凝らして見る。薄暗い中にジョウビタキの姿。「待ってたよ~」と思わず心の中で叫んでいた。昨年より一日遅い飛来だ。
 自然の摂理に従って毎年やってくるジョウビタキが、いとおしく、謙虚に生きなくてはと思う。
 鳴き声のキッキッ、カッカッが火をたく時の火打ち石を打ち合わせる音に似ている。それが火焚き(ヒタキ)という名前の由来らしい。
 これから、春先まで私を楽しませてくれる。
  垂水市 竹之内政子 2011/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載  写真はフォトライブラリより

読みきかせ

2011-03-08 11:14:41 | はがき随筆
 近くの小学校へ時々、読みきかせに行く。寒い朝であるが、子どもが待っているので心弾ませて行く。読書好きの子どもが目を輝かせて聞いてくれる。
 「おはようございます」。子どもたちの熱い視線を感じながら見回し元気度を目測する。そして、持参した本の題を告げ目配りしながら読み始める。終わると大きな拍手をしてくれる。
 「今日はこれで終わりますね。元気よく一日頑張ってね」と言って教室をあとにする。白い息の中で、聞いてくれた。仲良く楽しく元気の良い一日になることを願って、私の一日も始まる。
  出水市 畠中大喜 2011/3/5 毎日新聞鹿児島版掲載