はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

いつか「バディ」に

2016-01-06 13:08:54 | はがき随筆
 「ねえ、ねえ、みーちゃん、私たちってバディだよね」。トイレの中の18歳の娘に声をかけた。
 「えっー、バディ? 耳をかっぽじってよく聞くのだ。私たちは『バディ』と言うより『一蓮托生』だよ。バディは一人が倒れたらもう一人が守れる。でも私たちはまだそんなんじゃあないしー」と言う。そうですか、まだ2人とも危ういってこと……私、撃沈する。
 娘自身も本物の大人になって、私ももう少したくましくなって、いつの日が娘にカッコイイ「バディ」といわれるように頑張りたいと思う。
  鹿児島市 萩原裕子 2016/1/6 毎日新聞鹿児島版掲載

「ごめんなさい」

2016-01-06 12:59:37 | 女の気持ち/男の気持ち
 事実は小説より奇なりと言うが、我が家にも込み入った物語がある。
 昭和7年12月25日、私の姉は東京で生まれた。両親はまだ学生で結婚もしておらず、周囲の勧めもあって養女に出された。宮城に移り住んだ姉は高校時代に養父から事実を知らされたという。早くに養母が亡くなり、義母に男の子が生まれたこともあって、高校卒業後に実母の両親を頼って東京に出たらしい。
 私たちの両親は戦後に父の故郷鹿児島に戻り、私が生まれる昭和27年に婚姻届を出した。私が真相を知ったのは31歳。父が亡くなった時だった。遅すぎると母を責めた。
 その翌年、姉が結婚して暮らしていた仙台でようやく母子の3人が顔を合わせ、おいやめいにも初めて会った。その後数回行き来したが、7年ほど前に私の手紙が誤解を招き、めいにも訪問を断られ、仙台まで行ったが会えずに戻ったこともある。震災前に老人ホームに入居したと東京在住のおいから知らされたが、没交渉のままだった。
 和解をと願っていたが、希望は断たれた。おいから先日、亡くなったことを知らせる喪中はがきが届いたのだ。父の暴力にも耐えて離婚しなかったのは、万が一の時に姉が頼れる場所を残しておきたかったからだと母は言っていた。その思いを伝えることももうできない。 
 面と向かって「お姉さん」と詠んだことがない姉を思い、声に出して言ってみた。
 「暁美ちゃん、もう一度会いたかったよ。ごめんなさい」
  鹿児島市 本山るみ子 2015/12/29 毎日新聞女の気持ち欄掲載

2016-01-06 12:43:43 | はがき随筆
 また1本、息子の歯が抜けた。笑うと欠けた前歯が間抜けて見えるのだが、本人はお構いなしだ。幼稚園では抜けた歯が多いほどステータスが高いらしく、自慢げに口を広げてみせる。
 最初の歯は、仕上げ磨きのときに誤って抜いてしまった。彼は痛みに驚いて泣き、意外な出血にわめいた。2本目は、ぐらつき始めた頃から舌で押していたらしく、難なく取れた。3本目は友達に激突して抜け、4本目は熊本城の天守閣でぽろりと落ちた。しばらくは生え変わりで一喜一憂が続くだろう。全部大人の歯になる頃には、どんな顔で笑うのだろうか。
  鹿児島市 堀之内泉 2016/1/1 毎日新聞鹿児島版掲載

ブライアン樹

2016-01-06 12:37:13 | はがき随筆
 故郷のコスモスを見た帰りに母校を訪ねた。小学校の校庭に大きなクスノキがある。米国の政治家で後に副大統領となったブライアンが1905年に植樹したものだ。
 村の青年が米国の氏の家で5年間お世話になり、彼を育てた両親と村を見たいと、船旅の途中、立ち寄った。2人は終生、日米親善に尽くしている。
 昭和20年、私が小学2年の夏、空襲で校舎は全焼し、皮肉にも日米樹は焼け落ちた。まもなく根から芽が出て、立派な樹木に成長している。母校は2年後の閉校が決まり、卒業生で記念誌の発行に取り組んでいる。
  鹿児島市 田中健一郎 2016/1/5 毎日鹿児島版掲載

ひっかかった骨

2016-01-06 12:28:41 | はがき随筆
 まだ若く、世渡りももっと下手だった頃。大学の先輩が隣町のキャンプ場に来るというので、母が作ったスイカを届ける約束をした。しかし、父に「男性に会うために仕事を休むとはけしからん」と叱られた。
 当日、職場とは反対方向の列車に乗れば、たとい手ぶらでもおわびが言えたのに。弱虫娘は普段通りに仕事に行った。携帯電話も無い時代、謝罪の葉書を出したが、以来音信不通に。
 過日、41年ぶりに再会し「のどに骨が刺さったようで」とわびたら「スイカに骨はないよ」と笑ってくれた。あのときの骨が抜けたと思える瞬間だった。
  鹿児島市 本山るみ子 2016/1/4 毎日新聞鹿児島版掲載

郷愁

2016-01-06 12:21:44 | はがき随筆
 冬支度の季節、「ストリート美術館」(中央駅前)に参加し「ほのぼの風景画」を展示した。絵を見た人の共通した感想が懐かしさだ。突然「ワーオ ワンダフル」と、じ~っとその絵に見入っている一人の外国人。笑顔で近づきシッチョ単語を絵文字を混ぜ会話をした。イギリスの片田舎に生まれ、この絵を見ていると郷愁にかられると話してくれた。何かの縁とにがえ絵を描き、ローマ字で「ヨカニセ」と添えた。意味を知って最高の笑顔でアイム ハッピイと一言。故郷を離れたからこそ、ある風景を見たときに、ぐっとくるものは世界共通だ。
  さつま町 小向井一成 2016/1/3 毎日新聞鹿児島版掲載

取材記事300本へ意欲

2016-01-05 22:34:48 | 岩国エッセイサロンより
2016年1月 4日 (月)

  岩国市  会員  吉岡 賢一

中国新聞タウンリポーターとして写真付き記事を書いてみないか、と知人から勧められたのは2009年3月だった。早速、岩国総局の指導で、取材活動に挑戦した。記念すべき第1号が、その年の4月7日付岩柳版に掲載された。その時の感動は今も忘れることはない。それ以来、趣味の会やボランティア活動、祭りやイベントなど、「人の和」「地域の伝統を守る行事や活動」にスポットを当てて発信することに意義を見つけ、取材を続けて来た。あれから6年8ケ月を経た昨年末、掲載されたリポートは272本になった。一日も早く300本に到達することを、新年の目標に掲げたい。取材を通して多くの人からさまざまな情報を得る。それをリポートに仕上げる作業は、私にとってこの上ない社会勉強の場である。新しい年は、さらに地元に密着したタウンリポーターを目指し、足を使って、幅広い活動に光を当てる情報発信を心掛けたい。
     (2016.1.4  中国新聞広場 特集新年に期待する 掲載)岩国エッセイサロンより転載

父の背中

2016-01-05 22:31:25 | 岩国エッセイサロンより
2016年1月 4日 (月)
   岩国市  会 員   吉岡 賢一


 持って生まれた腕力の強さと旺盛な闘争心で、田舎相撲の大関を張ったこともある父は、明治32年生まれ74歳の生涯であった。若くして「強い大関」ともてはやされたせいか、その後の人生は波瀾万丈。子供の目には反面教師とする点が多々あった。
 そんな中でも、世間を見通す眼力、先駆者的な発想も随所に見せ、時に自慢したくなる一面も持っていた。良くも悪くも、最も身近で最も長く、男としての生き様を見せつけた人生の大先輩でありライバルでもある。
そんな父の歳に肩を並べる正月。お灯明を上げライバル賛歌の柏手を打つとしよう。
  (2016。01.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)岩国エッセイサロンより転載

失敗の巻

2016-01-05 13:50:16 | はがき随筆
 民文化祭の音楽会場みやまコンセールで、私の作詞曲「川内川」を演奏してもらった。その上、多くの視聴者の見守る舞台上で花束までもらって感激。
 ところが、演奏後のレセプションであいさつをさせられた。私は高をくくっていたのだが、舞い上がっていたことと、他の合唱団への気兼ねもあった。作詞曲を歌っていただいた混声合唱団だけに賛辞を述べるわけにはいかなかったのだ。
 しどろもどろで言葉をつなぐだけ。大失敗。気のめいる失敗は今後もきっといろいろあるだろう。失敗の巻は増やしたくないものだ。
  出水市 小村忍 2015/12/31 毎日新聞鹿児島版掲載

傘寿を迎えて3

2016-01-05 13:43:04 | はがき随筆
 傘寿を迎えて思った。確かに「老い」は失われていく過程のことである、と。視力や聴力がだんだんと失われいいく。体力も失われ、新たに挑戦しようとする気力さえも失われていくことに気づくようになった。
 哲学者の西田幾太郎が詠んだ。「愛宕山入る日のごとくあかあかと燃やし尽くさん残れる命」。これは若いときの歌ではない。自らを奮い立たせて残れる命を彼は燃やし尽くした。老いは失う過程ではあるが、命の重さに気づく。燃やすものはあえてないが。傘寿まで行かされた日々に感謝しながら、残れる命を得させていただきたい。
  志布志市 一木法明 2015/12/30 毎日新聞鹿児島版掲載

皇帝ダリア

2016-01-05 08:57:14 | はがき随筆


 師走の空に皇帝ダリアがやっと開花した。例年、中途でしおれ、そこから再生するも初霜に遭い、色づいたつぼみはドライフラワーのように枯れる。
 今年は暖冬だと油断していたら体調を崩してしまった。鼻水、せき、頭痛、こうなると家事放棄。味覚もなくなり食欲不振に。休養に栄養と言うけれど、単身で仕事があると無理難題。通院しながらの格闘と相成った。覇気のない顔に青息吐息の日々は苦しかった。
 か細いながら、また一つ、また一つと花開く皇帝ダリアを眺めていると心が和んだ。来年もまた会えるといいね。
  出水市 伊尻清子 2012/5/12/29 毎日新聞鹿児島版掲載