はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

鶴の北帰行

2017-03-23 21:02:38 | はがき随筆


 鶴の北帰行が終わろうとしている。今季も万羽鶴でにぎわったが、11月末のインフルエンザ発生で一変した。10羽近くが感染死した。飛来地の入口6カ所に消毒場が設置された。遠くから眺めるしかなかった。親子鶴、はぐれ鶴など群れて餌をついばんでいる姿は寂しく悲しげにみえた。幸い多くの人々の努力で感染拡大は免れたようだ。いつも歩くコース近くにいた親子鶴もいなくなった。後ろ髪を引かれる思いで北帰行したのだろう。来季も新しい命を伴って飛来してほしい。待っているよ。
 万の鶴心を残し北帰行
   出水市 畠中大喜 2017/3/18 毎日新聞鹿児島版掲載

羽ばたき

2017-03-23 20:55:56 | はがき随筆
 武家屋敷市の中にある、おしゃれなフレンチレストラン。菜の花ひらく小春日和の昼下がり、退職祝いの会が開かれた。その方を囲んだのは、すでに退職した先輩方から若手の現役職員まで計23名。異業種の交流が大切だと常々言われる論客だけに、いざ集まってみると初めて見るお顔も多かった。自らテープルを回ってお酌をしつつ笑い転げている主人公。余興で飛び出したのは当地ツルの鳴きまね。今年の万羽鶴も故郷へ向かって羽ばたき始めた。職場を離れる4月から、その交流はまたさらに広がっていくのだろうと用意に想像することができた。
  出水市 山下秀雄 2017/3/17 毎日新聞鹿児島版掲載

恵方巻

2017-03-23 18:00:20 | はがき随筆


2月3日、恵方巻を会に街に出た。さてどこで買おうかな。パスを降り北北西を見ると、そこにデパートがみえた。「こいつは春から縁起が……」とよく見ると、そのデパートを背にして同級生の〝竹〟が歩いて来るではないか。「おお、竹、お前生きていたのか」「うん、正月に倒れて入院しとったんだ」。こんな話も希有に聞こえないから不思議だ。
 「まあ元気になってよかったじゃないか」「うん、まあね」。サテンに行き3時間ほどしゃべった。家に帰って気づくと恵方巻を買っていなかった。
  鹿児島市 高野幸祐 2017/3/16 毎日新聞鹿児島版掲載

好日手帳

2017-03-23 17:44:16 | はがき随筆


 友に「好日手帳」を頂いた。名称のごとく、好日はよい事づくしのつづりを手帳に記す。
 「夫婦銀杏」の見物に出かけた。天まで仰ぐ、巨木はるか碧く澄んだ大宇宙に夫婦の型としてそびえ立つ銀杏の黄金色。辺り一面は太陽の光に染まり、今日の旅は「好日手帳」の好日にふさわしい一節でした。
 よい事ばかりの世の橋は渡れない。つれづれまるままに親愛なる強い絆で結ばれ、手と手をつないだ夫婦銀杏は神々しく映える。葉が風に舞うと拾い、読みかけの本のページに鋏み、書きかけのノートのページに鋏み、優しくしおりに納まる。
  姶良市 堀美代子 2017/3/15 毎日新聞鹿児島版掲載

鳳仙花

2017-03-23 17:30:07 | はがき随筆
 「やっぱり器用に生きられないのね……」と、島倉千代子が歌う「鳳仙花」という歌がある。そのテープを持って、脳梗塞で入院した友の見舞いをした。友の妻から、夫が元気な頃、2人でよく「鳳仙花」を聴いたと聞いていたのだった。
 歌を流すと、自分も身寄りがなく、夫が心配でたまらない友の妻は涙がとまらなかった。それを見ていた、言葉も出ず両手足とも麻痺した病床の友も涙を出し始めた。
 2人を見ていた私も、もらい泣きしてしまった。2人の身の上をよく知っているからでもある。……幸薄い、友とその妻。
  出水市 小村忍 2017/3/14 毎日新聞鹿児島版掲載

すみれに寄せて

2017-03-23 17:21:45 | はがき随筆


 庭のプランターに小さな花苗が自生した。水をやりながら、パンジーかビオラか、何色? と楽しみに育てた。月末にかれんな花をつけた。野辺のすみれに似た濃紫色のビオラだった。
 母は傍らにいつも花を植え、畑作りを楽しんでいた。弱っていく体とともにそれも途絶え、帰省の折、畑一面に広がるすみれに魅了されてしまった。その愛らしさを伝えると、小さな段ボール箱に苗が送られてきた。
 私は勝手に母の名を入れ〝正子すみれ〟と命名。大切に育てている。今、母は病んで静かに眠ったまま。早春の候〝正子すみれ〟はいとおしく切ない。
  出水市 伊尻清子 2017/3/13 毎日新聞鹿児島版掲載

ふるさと鹿屋探訪

2017-03-23 17:14:50 | はがき随筆
 昨夏帰省の折、七十有余年前の終戦前後に住んでいた朝日町の家の存在を知りたくなり探訪してみた。界隈にあった映画館、旅館、銭湯、雑貨屋などは消え、今は居酒屋が立ち並び昔日の面影は全くない。が、住宅街も空き地が目立つ中、目的の家は朽ちてはいたが居宅のまま在ったのだ。戦争中は防空壕に逃げ、空中戦を見上げ、戦後は若い進駐軍にチューインガムをねだった懐かしい家。思い出は尽きない。優に築80年はたつだろうが、朽ちても落ちない姿に感慨を覚えた。我が齢と重ね合わせ「共に頑張ろう」とエールを送りながら帰路についた。
  千葉市 脇田博 2017/3/12 毎日新聞鹿児島版掲載

昭和の風景

2017-03-23 17:06:19 | はがき随筆


 沈丁花のつぼみが膨らみはじめた日、中津川小学校(3.4年生)を地域の先生として訪れた。絵と、かごっま弁で昭和の風景を伝えているが、やはり初めての出会いはいつもチワイチワイである。団塊のこどもたちが駆け抜けた昭和30年代の豊かな「暮らし」を夢見た日々……。「テレビは白黒で5万8000円、父ちゃんの月給は1万5000円ジャッタ」。すると教室内に「エ~!」と声がどよめいた。次の時代を担うこどもたちに、貧しかったけどぬくもりのあった昭和の風景を少しは伝えることができたかなと、ジョンジョンうれしかった。
  さつま町 小向井一成 2017/3/10 毎日新聞鹿児島版掲載

春よ早く来い

2017-03-23 16:56:24 | はがき随筆

 


芝生の庭は明るく開放感があった。しかし、奇麗に保つのは大変で、10年ほど掛けて植木の庭に造り直した。春が好きなぼくは早い春を見たくて、梅を植え河津桜を植えた。下草の水仙は年明けと共に濃緑な三角芽を出す。庭に出て膨らむ蕾を妻と確認する楽しい時が今年も来た。残念なのは去年の台風で、枝を張った河津桜が倒れて片側の根を失い、生かすためにはその枝を切るしかなかったこと。そのため確認できる花芽は少ない。でも春は春、丹精込めた河津桜の春である。細やかな幸せを2人で感じるに十分な足音である。
  志布志市 若宮庸成 2017/3/9 毎日新聞鹿児島版掲載

花見で同期集う幸せ

2017-03-19 23:42:55 | 岩国エッセイサロンより
2017年3月15日 (水)
   岩国市   会 員   山本 一

 岩国市は錦帯橋の桜があるせいか、花見の盛んな所と勝手に自分で思っている。日記で確認すると、昨年は6回も花見をしている。
 あたかも虫に合わせるがごとく、毎年啓蟄の頃、幹事役の私が花見の連絡をする仲間がいる。
 昭和30年代に、岩国・大竹石油化学コンビナートができた。その一角にできた工場の第1期生として、1961年に入社した。
 まだ工場が完成していないため、同期入社の約20人が丸1年間、新潟県の工場で実習した。全員が寮生活で寝食を共にし、親から離れた開放感も手伝い、忘れられない青春の思い出となった。
 仲間意識が強く、お互い今も呼び捨てである。退職後も「36会」と称し、年に何回か飲み会をしている。花見はその中のメイン行事である。
 山陰育ちが妻に引つ張られて、岩国をついの住まいと決めた。当地の春は錦帯橋と桜のせいか、とりわけ居心地が良い。今年も花見で酒が飲める幸せをかみしめたい。 

    (2017.03.15 中国新聞「広場」掲載) 

小さな自分史

2017-03-11 21:51:28 | 岩国エッセイサロンより
2017年3月 9日 (木)

   岩国市   会 員   片山清勝

 広場欄へ初投稿が載ったのは10年前の3月で、「孫新聞が70号に、これからも作り続けたい」という内容だった。喜び、読み返すうちに投稿を続けよう、と決意してからひと昔が過ぎる。
 日々の生活で感じたり見たり、経験したことを飾らずに投稿した。載るとメールや電話で感想が届く。町で声も掛けられる。そのたび、内容への責任や短い言葉遣いにも気を付けなければと思う。
 広場欄は、不特定の人が広い分野にわたって、自由な考えを披露できる。 
 初掲載から3年が過ぎた頃、「広場欄は交流と情報と知の詰まった世界」とした私の投稿が載った。今もその思いは変わらない。
 楽しみながら書くと脳活になり、それが次の投稿につながる。
 掲載日の連絡はないから、紙面で見て初めて喜ぶ。これは投稿した者にしか分からない楽しみの一つだ。 
 掲載の切り抜きを繰ると、その時の出会いや情景を思い出し、平凡だが小さな自分史つづりに思える。

     (2017.03.09 中国新聞「広場」掲載)

緋寒桜の下で

2017-03-08 18:22:36 | はがき随筆






 西之表市の市街地から本城跡に上る路地の左側の土手に咲く緋寒桜を鑑賞していたときの話。路地はかなり急坂で、通る人は足元を見て上がるため緋寒桜を見上げる余裕がない。ビニール袋を手にした、買い物帰りと思われる私と同年配の男性が上がって来た。上がりきったところで振り返り声をかけてきた。「今年もきれいに咲いてますな。私もここを通るのが楽しみです」とにっこり。今度は下校途中の女子小学生が通りかかった。「こんにちは」「お帰りなさい」。こうした会話も日常的に交わされる。種子島には日本の原風景が息づいている。
  西之表市 武田静瞭 2017/3/8 毎日新聞鹿児島版掲載

後期更年期?

2017-03-08 18:15:46 | はがき随筆
 2年前の夏から、突然すごい汗が出てくるようになった。頭からも汗ポタポタ……、異常な感じ。冬も同じだった。最近の雪の日も、コットンのブラウス一枚だけでも上半身ビッショリ。昔は超寒がりだった私が、である。甲状腺のチェックもしてもらったが異常なし。たぶん更年期のホットフラッシュだろうということになった。更年期? ……ムフフ、この年で? 東京の友にメールしたら「ニコちゃん、今ごろ? 遅いよ! 後期更年期だね!」と言われ、笑い合った。よし、これが更年期ってものか。経験できてありがたい! 興味津々である。
  鹿児島市 萩原裕子 2017/3/7 毎日新聞鹿児島版掲載

初音

2017-03-08 18:08:55 | はがき随筆
 山茶花が盛りを過ぎ、椿の出番になる侯。耳をすませば、垣根の中を鶯がチッ、チッと渡り跳ねている。まだホーホケキョと鳴けないで、時たまホーと春本番へ自主トレをしている。
 そういえば、末孫はもう3年目の春を迎えようとしているのに「じいじ」「ばあば」と言えず「じっ」「ばあ」と、もどかしい。妻はこの先ずっと話をしていくじんせいだからゆっくり覚えればいいと意に介しない。私としては、片言で話す孫との姿を想像すれば待ち遠しくてたまらない。「ホーホケキョ」が早いか「じいじ・ばあば」が先か、春はすぐ近くまで来ている。
  出水市 宮路量温 2017/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載

美容室

2017-03-08 17:45:46 | はがき随筆
 母の散髪は私の仕事。白髪が似合う年齢だ。不器用な素人の私が、ハサミと櫛を巧みに使いこなすこと10分ほど。仕上げに椿油を少量、手のひらにのばし髪をなでると終了。耳の遠い母との会話を楽しみながら、昔を思い出した。小学生の頃までは、母に髪をカットしてもらっていたが、今や逆の立場になった。鏡を手にして満足そうな母。次回は眉を描き、紅でも差してあげようか? 奇麗に化粧し、喜ぶ姿を想像すると気持ちも膨らんだ。職員に見守られ、玄関まで名残惜しそうに車椅子の母が見送る。たたずむ姿は心なしか小さく見えた。
  鹿屋市 中鶴裕子 2017/3/5 毎日新聞鹿児島版掲載