はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

魅せられて

2017-03-08 17:18:46 | 岩国エッセイサロンより


2017年3月 7日 (火)
    岩国市  会 員   森重 和枝

 行きたい旅の一つに、2月の伊豆めぐりがある。河津桜と菜の花の続く土手を歩きたい。毎年、思いながらまだ行っていない。 
 今年は娘が「まずは近くに行こう」と上関城山歴史公園のさくらまつりに誘ってくれた。空は快晴。海抜35㍍から眺める海は青く輝き、満開の桜の枝に飛び交うヒヨドリやメジロに思わずスマホを向けシャッターを切る。遊歩道は整備され、まだ若木が多く、桜を愛する地元の人の努力が推察される。会場はにぎわい、青い海とピンクの桜、黄水仙の景色にうっとり。
 河津桜を満喫した楽しい一日だった。
     (2017.03.07 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

軍艦島に上陸して

2017-03-08 17:17:18 | はがき随筆
 旅仲間と世界遺産・軍艦島(端島)に上陸した。軍艦土佐に似ているのでその名がつけられたとのこと。1960年には広さ6.3㌶に5000人余の人が住み、人口密度は世界一だったといわれる。日本で初めての鉄筋の建物があって、学校、病院、お寺、映画館もあり、珍しいので長崎市から船でわざわざ見に来る人も多かったという。
 しかし、黒いダイヤと騒がれた石炭は時代の流れと共に石油へ。1974年に端島炭鉱は閉山し、今は無人島になっている。この島を離れた人たちは全国各地でどんな生活をされているのかなあと思うことでした。
  湧水町 本村守 2017/3/4 毎日新聞鹿児島版掲載

3人の師

2017-03-08 16:21:54 | はがき随筆
 私には3人の「師」がいます。1人目は海軍の将校だった父。敗戦後は苦難の連続だった彼からは<愚直さ>を学びました。2人目は難病で早世した自動車整備工の友。「生まれ変わってもまた親友で……」と言い残してくれた彼からは<信じきること>を学びました。そして3人目は七つ年下の妻。早くに父親を亡くした彼女からは<他人と比べず自分を生きること>を学びました。
 さて、3人とも世にいう名士ではありませんが、私にとって彼らは「宝」です。彼らに感謝しつつ、残りの人生を送りたいと考えてやみません。
  霧島市 久野茂樹 2017/3/3 毎日新聞鹿児島版掲載

スポットライト

2017-03-08 16:14:54 | 女の気持ち/男の気持ち
  3校目に赴任した中学校は荒れていた。3年生最初の授業では全員2階の美術室に入ってはいるが、チャイムが鳴っても私は全く無視されていた。とっさに教卓の上に立った私は「おー、よく見える」と全員を見まわした。
 前任校で特別支援学級の担任だった私は、階下の特別支援学級の生徒の姿を話した。「花園の水やりを約束すると、雨の日も水をやって約束を果たすぐらい純なんだ」。私たちには何が大切か熱弁した。「あんたは、えらい!」机に足を投げ出し腕組みした「男番長」が言った。
 ある日の休み時間、向かい側2階の2年生の教室から「せんせー」と1階1年生の教室の私に向かって手を振る女生徒たち。「先生もてるね!」と冷やかす1年生たち。「あの8人が問題の生徒たちだ」と生活指導主任が指示した8人だった。
 8人が3年に進級すると私は3年生の生徒指導係になった。8人は私としか会話をしなかったらしい。涙なしには聞けないつらい話を聞いた日もあった。
 「文化祭で劇をやろう」。8人のいる3年生に声を掛けた。「新男番長」はスポットライトの係に、8人の中のMは劇の主役になった。私は演出係を応援した。スポットライトを浴びたMのせりふはよく通った。
 幕が下りると私は舞台裏へと急いだ。「先生、どうだった?」とM。「良かった、とても良かった!」と私は両手を握りしめた。
 共に活動した喜びは広がり、彼らを素の顔に戻した。学校は落ち着きと静けさを取り戻した。
  鹿児島県出水市 中島征士 2017/3/2毎日新聞「男の気持ち」爛掲載

もちっ子の出番

2017-03-08 15:32:01 | はがき随筆
 年末には毎年「もちっ子」の出番がある。
 餅つき器の「もちっ子」は30年ほど前から働いてくれているが、人間の方は年々くたびれてきて心細い。それでもやはり手作りを仏様にお供えしたい思いで毎年頑張っている。スイッチひとつで「蒸す」「つく」をやってくれる「もちっ子」は優れ物だ。
 餅ができ上がるとお供え用にちぎる役目だが、それが意外と体力がいるのです。餅つきが終わると一年の締めを感じてほっとする。
 今年も年末には「もちっ子」の出番がありますように。
  鹿児島市 竹之内美知子 2017/3/2 毎日新聞鹿児島版掲載

母校惜別

2017-03-06 22:25:34 | はがき随筆
 ふるさとの日置市吉利小学校が来春閉校する。由緒ある小松家のお仮屋跡にあり、校庭には明治時代に米国の副大統領が植えた日米樹が茂っている。 
 閉校が決まると、同級生が発起人となり、記念誌の作成が始まった。多くの卒業生から原稿が届いた。終戦を経験した世代は、村や学校での苦しい体験と思い出を克明につづっている。
 母校は私が小学2年生のときに空襲で全焼し、内外地から転校生が加わり、600人を超えた。食糧は乏しく、みんな貧しかった。母校への感謝と惜別を込めて「吉利くんありがとう」と名付けた記念誌が完成した。
  鹿児島市 田中健一郎2017/3/1 毎日新聞鹿児島版掲載

風になりたい

2017-03-06 22:15:38 | はがき随筆
 転勤したその中学校は荒れていた。1年担任だった。他教科より授業時間の少ない美術科の私は生徒たちとの接触時間をふやすために始業30分前には教室に居た。彼らの登校がおのずと早くなった。そして図らずも、力を誇示しに来る上級生たちから彼らを守る結果となった。
「帝釈天に行きたい」とA夫が言った。「よし、行こう! 着いたら全員合唱だ」。学級活動として校長の許可を得て学校の裏山のその場所へ行った。街並みを見下ろして<風になりたい>を歌った。「高音と低音が調和してそれは街中に響き渡りました」と校長に報告した。
 出水市 中島征士 2017/2/28 毎日新聞鹿児島版掲載

オレンジ色は?

2017-03-06 22:03:40 | はがき随筆
 わが家の入口にオレンジ色の花が落ちている? なんとそれはキンカンの皮でした。キンカンの木は我が家の左隣の庭にある。ひと気のある所では食べずに、右隣の空き家のブロックの上で食べたらしい。こうして挟まれた我が家の入口がオレンジ色の落花場所になったということ。何鳥の仕業なのか食べる姿を見たくなるものの、運よく見られるものでもない。冬にお墓の菊の花びらを食べられることがあるので、キンカンはいい食料かもしれない。朝の目覚めに鳥のさえずりを聞き心和むことがある。こうして鳥たちとも共存している気がする。
  霧島市 口町円子 2017/2/27 毎日新聞鹿児島版掲載

梅の花

2017-03-06 21:50:54 | はがき随筆
 雨が上がり珍しく暖かい朝、八分咲きの梅に日が差している。夫の誕生日も過ぎ、一日賑やかだった我が家はまた静かな2人だけの暮らしに戻った。咲き初めた梅の花に小鳥たちが来て蜜を吸っている可愛い仕草に心が和む。この花が咲くと亡き父や母を思い出す。とにかく花好きで、紅梅白梅、桃色の花と盆鉢に植えて楽しんでいた。その父も2月には27回忌を迎えた。いつも笑顔で話をしてくれた父に今も感謝している。長生きしてみて人生の基はやはり優しさと思いやりだと思う。寒さに負けず、今からでも人と自然に優しく接しながら生きてゆきたい。
  出水市 橋口礼子 2017/2/26 毎日新聞鹿児島版掲載

書いていて

2017-03-06 21:38:16 | はがき随筆
 気がついたら何やら書いていて。「山の彼方の空遠く」などとそらんじていて。手さぐりで詩らしきものを書いていて。詩論など少しばかりかじったりしていて。仲間とガリ版刷りの同人誌を作ったりして。子供を産んでも書いていて。「まだ詩を引きずってるの?」とからかわれたりして。
 この年になってまだ詩というものがわからなくて。だからなお書きたくて。書かずにいられなくて。
 ゴールが見えなくて。たどりつきたくて。その世界を知りたくて。ボードレールに逢いたくて。
 鹿屋市 伊地知咲子 2017/2/25 毎日新聞鹿児島版掲載

リサイクル

2017-03-06 21:30:46 | はがき随筆
 折々に若い頃の衣服を始末している。えんじ色のこの着物は、嫁ぐ私に母が縫ってくれたもの。勤めていて気ぜわしい普段から、日曜だけは着物を着てゆったりした若い頃を思いだす。
 着物の布も色もしっかりしているが、もらってくれる人がいないので布団皮にしようと解きだした。一針一針母が丁寧に塗った着物を一針一針解きながら母をしのんだ。綿打ち直し屋さんに相談して、布団皮持ち込みで再生することにした。リサイクルに持ち込めば、もうお別れになる。思い出の着物が敷き布団に再生されると思うとうれしくなった。
  出水市 年神貞子 2017/2/24 毎日新聞鹿児島版掲載 

天敵の目にも涙

2017-03-04 18:05:17 | 岩国エッセイサロンより
2017年3月 3日 (金)
岩国市  会 員   山本 一

 次女が思春期の頃だった。「お父さんはきっと会社の皆さんを困らせている」と涙を流して言う。図星かも……。今も私にはズバリと言う。次女は私の天敵である。
 先日、2歳の孫がインフルエンザにかかった。いつも通り近くにむ私たち夫婦にSOSが来ると思ったら外れた。夫婦が交代で会社を休むという。2人とも仕事はめったに休まない。「年寄りにうつしたら大変」と思ったらしい。「鬼の目にも涙」というが、まさに「天敵の目にも涙」である。
 しばらくして孫がやってきた。天敵への思いを込めてギュッと抱きしめてやった。
   (2017.03.03 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

しぇっしぇん

2017-03-02 12:32:02 | 岩国エッセイサロンより
2017年3月 2日 (木)
    岩国市   会 員   片山清勝

 60年前、高校時代にクラスを受け持っていただいた物理の先生は今年、白寿になられる。だが、記憶にあるのは理系の教師らしく白の実習着を着て講義をされる場面。若くて充実した教師生活真っただ中の姿だ。
 物理の必須用語の一つに 「接線」がある。曲線上の2点を通る直線を想定して1点をもう1点に限りなく近づけた時、2点を通る直線が限りなく近づく直線。先生は「しぇっしぇん」と発音した。だからニックネームは「しぇっしぇん」。接線を言うたび、苦笑いされたのが忘れられない。まじめに黒板を見つめる生徒も皆、ふっと心が和んだ。
 ある時、試験で全問正解なのに95点だったことがある。抗議に行くと、「世の中に完全なものはない。私は満点を付けない主義」。物理の先生らしからぬ、理屈にならない説明をされた。笑うしかなかった。
 しかし、社会人になってからその経験のありがたみが分かった。世の中の矛盾に遭遇し始めると、「物理の95点」を思い出した。
 卒業後は年賀状だけのつながりだが、もう60年近く続いている。時に「体調不良」との記入もあった。だが、漢詩を引用してこちらを激励される方が多かった。ことしは「白寿になる」と書かれていて、初めて先生の年齢に思い至った。自分の加齢は気にしても、他人の年齢に注意を払わない自分を諭されるようだった。
 春である。もっと温かくなったら「しぇっしぇん」先生をお訪ねしよう。

      (2017.03.02 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)