乗鞍高原に遊ぶ為に、厭離穢土・欣求浄土の徳川家康誕生の地岡崎城から信州と三河を結ぶ三州街道(国道153号線)を走行した。途中の長野県辰野と塩尻の境に善知鳥峠がある。北国の浜辺で猟師に捕らえられた雛鳥を追い求めて飛んで来た親鳥は、険しい山々、激しい吹雪に力つき、この地に果てたという。土地の人はその珍鳥が善知鳥(ウトウ)と知って手厚く葬い、ウトウ山と呼ぶようになったという。数分間で通過した善知鳥峠であるが、善知鳥(ウトウ)の言葉が妙に知的好奇心を刺激したので、調べてみた。
ウトウはチドリ目ウミスズメ科の海鳥で、背面は黒褐色、腹部は白色、嘴は橙色。繁殖期に上嘴基部に特徴的な白い突起物を生ずるので、アイヌ語で突起をウトウと言うこと、そして泣き声が「ウトウ」と聞こえる事に由来している。
葦(善)の茂る場所に住んでいること、人間の食料の穀物を食い荒らす害鳥の「悪」ではなく人間サイドの善を知っている鳥と千鳥の掛詞で「善知鳥」の字があてられた。
別の説は、はるか昔、善知鳥中納言藤原安方という者が流されてさすらい、陸奥外ヶ浜にたどり着いて死んだという。彼の亡霊が見たこともない鳥となって海に群れ磯に鳴いたので、人々は恐れおののき「善知鳥大明神」として祀り、その鳥を善知鳥というようになったのであるが、後世の学者の研究でウトウであることが判明した。
陸奥外ヶ浜は、「善知鳥大明神」の神社があったので善知鳥村といわれていたが、漁師が目印とした緑の森の丘の青森から、現在の青森市安方である。
ウトウの狩りは群れで行われ、集団で潜水して小魚の群れを追い込み捕食するといわれる。営巣は崖の岩棚に穴を掘って行い、親子の絆が強く、親が餌をもって帰る際に「ウトウ」と鳴き、巣穴の子は「ヤスカタ」と鳴くという伝承民話があるという。「安方」と同じ鳴き声で出来すぎた話である。
ウトウを捕る猟師は親鳥をまねて「ウトウ」と声をかけ、それに安心して巣穴から出てくる雛を捕まえる。これを見て親鳥は悲しみ、血の涙を降らせるので猟師は蓑と笠をつけるのだ。西行法師が和歌にした悲しい情景である。
「子を思う涙の雨の笠の上にかかるもわびし安方の鳥」
安方の鳥=善知鳥=ウトウの等式が成り立ち、ヤスカタもまたウトウと同義であることが分かる。
能に善知鳥(ウトウ)の演目があるようだ。
「立山禅定の僧が猟師の亡霊に出会う。この亡霊は、陸奥の外が浜出身の猟師で、生前「善知鳥」を捕まえた報いで立山地獄に堕ち、責め苦を受けているのだという。猟師が、僧に形見の簑笠・麻衣を託し、地元の妻子に届けてくれるように哀願するので、僧はその後、外が浜に猟師の妻子を訪ね、形見の品を渡す。妻子がこれを供養すると、猟師が現れ、生前の猟で犯した業と、地獄での責め苦の様子を見せるのである」
佐渡島相川に善知鳥神社があるようだが、能楽が盛んなので、能に由来しているのだろう。
飯田座光寺の果樹農家に所用があり、高速道路を利用しないで、一般国道を走行したのであるが、平日でもあり空いている。お陰様で善知鳥峠を知ることが出来た。飛行機・新幹線・高速道路で都市間移動全盛の点と点のデジタル時代であるが、途中の景観、人の触れ合いを身近に感じる連続するアナログ旅がお勧めで豊かな心が復活する。
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