11月初旬、12月初旬は飯田座光寺の市田柿生産のワーホリでJR東海飯田線で豊橋~飯田を二往復した。
神無月30日 豊橋発10時8分伊那路1号で飯田着、各駅停車で元善光寺13時13分下車
霜月9日 元善光寺8時33分の各停で天竜峡、中部天竜行きに乗り換え、中部天竜11時21分伊那路2号で12時31分豊橋着。
師走5日 豊橋8時11分各停で天竜峡、各停に乗り継ぎ13時13分に元善光寺で下車。
師走10日 飯田駅13時25分発の各停で天竜峡、1時間の電車待ち15時12分発の各停で18時24分に豊橋到着、東海道線の新快速で岡崎に帰着。
昔は急行伊那路だったが、今は特急伊那路の1~4号の全てに乗車して往復したかったが、時間帯によってはローカル列車が特急に優先する利便性が有るので、金が無く時間に余裕のある老人は優劣を付け難いのである。
師走の飯田行きでは水窪駅で伊那路2号と単線の列車交換をし、伊那路1号とは中部天竜駅で鉢合わせする。
師走の帰路は昼に作業が終了、飯田発15時58分の伊那路4号より早く豊橋に到着する各停に乗車、7分早い18時24分に到着、6分乗換で東海道新快速に乗車できた。田舎では各停は特急に追い越されないのである。
18時20分豊橋発飯田行き伊那路3号とは名鉄本線を走る各停から単線の飯田線を走る特急伊那路3号と走行行き違いをし、豊橋に18時31着の伊那路4号と豊川18時29分着の伊那路3号はその間の何処かですれ違いをするのは小坂井と豊川間だけが複線になっているからである。
小坂井駅平井信号所から豊橋間は飯田線も名鉄本線も単線であるが供用することでお互いが複線になる知恵を働かせる。
蛇足になるが。天竜川を上流諏訪湖に向かう列車は下りで奇数、太平洋に流下する方向に向かう列車は上りで偶数の愛称が与えられる。国鉄時代の最高の高さを誇ったのは野辺山でなく東京駅、全ての列車は東京に向かって上った。そして東海道線が中央東線より早く開通したのだった。
現地で現物に接すると意外な発見ができるのも旅の効用だろう。