「太陽の塔」の修復の二重性について、NHKラジオで語られていた。これはまさに東洋医学・古典の学びかたである、と思える。
「太陽の塔」とは岡本太郎のプロデュース?で70年の万博の時に作られたものである、が50年近くの年月が経って内部の展示(生命の樹)が壊れたり部分的に失われたりしている、のでそれを修復して公開することとなったのであるが、その修復の方法論について今朝のNHKラジオで語られていた。
例えば、生命の樹の「マンモスの像」が失われているのであるが、それは修復する(再度作る)にあたって、二つの方法論がある。
一つは、50年前の当時そのままに、を目指しての修復であり、もう一つは、現代の知識、技術で作者である岡本太郎が本当に創りたかったもの、にもかかわらず当時の知識、技術の制約から創り得なかったものを、作るという修復である。
そして、今回の「太陽の塔」の修復にあたっては、後者の方法論をとった、なぜならば、50年前のそのままでは、仮に完璧に再現出来たとしても現代の人々にはたいして評価されない、であろうから......(アバウトには、以上のことが語られた)
これを聞いて、これはまさに東洋医学・古典の学びかたそのものである、と思えた。
端的には、東洋医学においても、古典を神棚に祭り上げて有難がっているばかりでなく、あるいは過去の迷信と馬鹿にしたり捨て去ったりするのでも無く、先達が何を成そうとしていたのか、何を成そうとしたにもかかわらず時代性ゆえに現在に残されたものとなっていってしまったのか、を分かって、それを現代の時代性ゆえの実力をもって完成させてやることで、その上で修正すべきは修正して、受け継いで行く、ということが我々後生のなすべきことであるのだ、と。
「太陽の塔」とは岡本太郎のプロデュース?で70年の万博の時に作られたものである、が50年近くの年月が経って内部の展示(生命の樹)が壊れたり部分的に失われたりしている、のでそれを修復して公開することとなったのであるが、その修復の方法論について今朝のNHKラジオで語られていた。
例えば、生命の樹の「マンモスの像」が失われているのであるが、それは修復する(再度作る)にあたって、二つの方法論がある。
一つは、50年前の当時そのままに、を目指しての修復であり、もう一つは、現代の知識、技術で作者である岡本太郎が本当に創りたかったもの、にもかかわらず当時の知識、技術の制約から創り得なかったものを、作るという修復である。
そして、今回の「太陽の塔」の修復にあたっては、後者の方法論をとった、なぜならば、50年前のそのままでは、仮に完璧に再現出来たとしても現代の人々にはたいして評価されない、であろうから......(アバウトには、以上のことが語られた)
これを聞いて、これはまさに東洋医学・古典の学びかたそのものである、と思えた。
端的には、東洋医学においても、古典を神棚に祭り上げて有難がっているばかりでなく、あるいは過去の迷信と馬鹿にしたり捨て去ったりするのでも無く、先達が何を成そうとしていたのか、何を成そうとしたにもかかわらず時代性ゆえに現在に残されたものとなっていってしまったのか、を分かって、それを現代の時代性ゆえの実力をもって完成させてやることで、その上で修正すべきは修正して、受け継いで行く、ということが我々後生のなすべきことであるのだ、と。