(17/10/23 14:00)
「虔脩感應丸」は「救心」と同じく強心薬として発売されているが、試してみると「救心よりも穏やかな効きめで、「?」と思うほどにハイになるでもなく、なおかつしっかりと効いてくれる。かつ、その効果が長く持続する(これは一回量が多いゆえかと思うが)上に、効きめ自体が穏やかなゆえか薬が切れた時の感覚もいきなり切れるでは無く徐々にといった感覚であった。
「救心」との一番の違いは「蟾酥」(救心)と「麝香」(虔脩感應丸)の違いであろうか?自身には心臓の病も無く単に体調を回復させてくれるという効果で充分であるので、「虔脩感應丸」の方が望ましいと思えるが、「麝香」が高価なゆえか、やや高価なのが難である。(救心製薬からも「感應丸」が発売されているが300粒で28000円とやはり高価である)そう考えると、「感應丸」とほぼ同じ成分の「樋屋奇応丸」が良いのかと……。
24錠で7500円と高価?な薬である。昔は高貴薬と言われ庶民には手の届かないものであったということを考えると......。
【当時の背景=生活が書かれていないので、何のことだかわからない面があると思えるので、簡単に書いておく。
当時、仕事しつつの夜の鍼灸学校への通学かつ、その内容を毎日のようにブログに記すことでの学びでもあった、加えて武術の鍛錬、哲学の学びも、どうしても継続していきたいということがあった。
また、その上に加えての、高齢の父と同居での介護ということもあった(また、それ以前に、母親の介護から看取りということもあり、体調的には無理を重ねた上でのさらにの、でもあった。
実際に、年末年始に母親を看取った後の春には、歩いていていきなり意識消失して地面に叩きつけられたり、初めてのインフルエンザ感染を経験してもいる)ので、睡眠時間も短く、5時間以下という日も当たり前のようにあっての、という状況であった。
それゆえに、食と運動の整えのみでは、自身の体調を保つということが到底困難ということになってきていた。
また、その食と運動の整えにしても、一般論的にはそれなり「生命の歴史の繰り返し」という意識では行っていたのであるが、現在のようにその中身をしっかり分かっての、がなかったから、そういう面でも厳しいものがあった。
その状況をなんとかしようと(一時的な体調回復を期待して)の、かつ、漢方湯液の学びも東洋医学の学びには必須であろうとの思いで、書物での学びに加えての、自身の身体を実験体としての漢方薬を試すであった。
今思えばよくぞ3年間もの長きにわたっての学びを継続できたものとの思いがある。】
(見出し画像は、赤本と呼ばれる書。これにも随分と学ばせていただいた。)