東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

蜻蛉の構え〜一般教養の、あるいは背後の認識を知ることの大事性〜

2024-10-28 08:22:00 | 武道・武術
19/08/03 07:52のブログ再録、コメントあり)

蜻蛉の構え(示現流)について考えた。人間に関わるものごとは、その背後にある目に見えないものを見ることが大切なのだ、と改めて痛感される。

「蜻蛉の構え」とは、示現流の構えで、通常の刀術でいうところの「八相の構え」に良く似た構えである。

昔々に、「蜻蛉の構え」というものを知った時には、「八相の構え」を示現流では「蜻蛉の構え」というのか、あるいは「受け無しの一撃必殺」を旨とするからの構えなのか、というくらいの認識しか持たなかった、持てなかった。

しかしながら、現在あらためて「蜻蛉の構え」ということを考えてみると、「蜻蛉の構え」というものを、(観念的に)ゾッとする恐さとともに見ることとなる。

その恐さの中身とは、一撃必殺的に斬りつけてくる刀術の恐さであり、それ以上にその背後の何があっても一歩も引かない、という気魄の熾烈さに対しての恐さである。

人間に関わるものごとは、その背後の認識を知ること無しには本当のことは分からない、そしてそのためには一般教養というものが求められるのだと、それらの大事性痛感される。
蜻蛉柄の花緒の雪駄。

江戸時代には、蜻蛉は前進しかしない蟲であるから縁起が良いとして武士階級に、文様が刀剣等の細工物に好んで使われたらしい。

そのような江戸時代の、武士の常識からすれば、「蜻蛉」といえば、一歩も引かない、不退転の決意の表れ、ということになるのでは......と。

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ライ麦パン作りに学ぶ伝統の... | トップ | 股関節重心の二重性〜創ると... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伏龍)
2024-10-27 14:01:31
これ良いなあ。自身の武術の闘い、ということと共にの論じるがあれば、もっと良いのでは?

この論じ方では、単なる知識でも説けるから。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。