東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

人間と本能〜本能に代わるものの必要性〜

2019-06-20 15:14:41 | 覚え書(2)
患者の生活過程について知る度に、また自身の生活過程を振り返ると、認識の不味さによってそれが乱されているということを、それゆえに本能(に代わるもの)の必要性を痛感する。

患者にせよ自身にせよ、動物ではなくて人間であるから、本能というものをほとんど失ってしまっているので、別言すれば、本能ではなくて認識に導かれての行動がほとんどである生活=24時間の繰り返しであるから、本来必要とされることをしっかりと為す、のではないことが多々ある。その結果として、正常から異常、異常から病へとなっていくことが往々にしてある、と思える。

患者に対しての問診を繰り返していると、病の原因というものは、そういうことなのだと思えることが再々であるし、そのような思いを持って患者や自身の24時間の繰り返し=生活を視ると尚更に、である。

それだけに、本能というものの必要性、本能に代わるものの必要性を痛感する。

人類の歴史に尋ねるならば、本能を失った人類は、神を誕生させ、宗教を誕生させ、となっていくしかなかった、ということの意味、そうでなければ、人類は生きられなかった......。

個としての人間もまた、と思える。
今日は30度を超える暑さ。久しぶりの1時間の足裏鍛錬。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 衰える老いる(画像追加)〜そ... | トップ | 語彙力について〜語彙力と文... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (伏龍)
2024-10-26 05:16:11
頑張ってはいるんだけれど、隔靴掻痒だなあ^^;

本能の問題、本能に代わるもの、という問題、未だに自身の課題でもある。しっかり深めていきたい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。