人間にとって衰える老いるは必然性である、と患者の事実から何よりも自身の事実から痛感する。
そこには二重性が(少なくとも自身には)ある。短所ととも長所がある。
通常は、衰える老いるは、出来ることが出来なくなっていく、それが当たり前になっていく、というマイナス面で問題となる、される。
しかしながら、(自身にとっては)出来ないことが常態となることで、何事においても、出来なければどうしよう!?とのプレッシャーを感じることがだんだんに少なくなって行き、出来なくて当たり前、自身の全力でやって出来なければ仕方ないな、との開き直りが出来るようになって、返って若い頃よりも、持てる実力を発揮出来るようになっている、と思える。そういうプラス面があると思える。
例えば、本ブログも、自身の若い時代であれば、こんな事を書いても良いのだろうか?、うっかりした事を書いて大恥をかくのでは!?とのプレッシャーで、一行すら書けない、ということになっていたであろうが、現在では、これが今の実力なのだから、やって見てダメだったらもう一度やり直すしかない!と開き直っての......。
ある日の夕暮れ
そこには二重性が(少なくとも自身には)ある。短所ととも長所がある。
通常は、衰える老いるは、出来ることが出来なくなっていく、それが当たり前になっていく、というマイナス面で問題となる、される。
しかしながら、(自身にとっては)出来ないことが常態となることで、何事においても、出来なければどうしよう!?とのプレッシャーを感じることがだんだんに少なくなって行き、出来なくて当たり前、自身の全力でやって出来なければ仕方ないな、との開き直りが出来るようになって、返って若い頃よりも、持てる実力を発揮出来るようになっている、と思える。そういうプラス面があると思える。
例えば、本ブログも、自身の若い時代であれば、こんな事を書いても良いのだろうか?、うっかりした事を書いて大恥をかくのでは!?とのプレッシャーで、一行すら書けない、ということになっていたであろうが、現在では、これが今の実力なのだから、やって見てダメだったらもう一度やり直すしかない!と開き直っての......。
ある日の夕暮れ
昔…といっても、数年前ですが…
愛犬のゴールデン・レトリバーと関わる中で、
「老いる」とは、
昨日できた事が、今日できなくなっている。
今日できる事が、明日できなくなっている。
と実感・痛感しました。
その実感・痛感は、愛犬との毎日の散歩の中ででした。
「プレッシャー」と言えば、
子供は自分の言動を客観視できない為、
何のプレッシャーもなく、なんでもトライ可能ですね。
親から、「叱られる?」的プレッシャーありかも?
これは、未発達故の効用ですかね、
私は、
子供心を忘れずに持ち続けた老人になりたい!です。