高科先生は、最近電車の中で小さな子どもにスマホを見せている親御さんが気になっているそうです。
子どもは恐ろしい早さで母語を獲得していくので、それに最適な時期があります。
それなのに、動画を見せて一方的に情報を取得させるようなことで良いのだろうか、というわけです。
今の時代はデジタルツールを使わずに生活することは難しくなっていますが
絵本を読み聞かせることは、一方通行ではない「学び」があります。
いま一度小さな子どもにスマホを渡す前に、できることを考えてはいかがでしょうか…
この日はテキスト『60歳からの文章入門』(近藤勝重 著/幻冬舎新書)から、P154〜164を見ていきました。
・尾崎放哉の俳句を詠む
・谷川俊太郎、まど・みちおの詩を読む
・スマホを手放し、五感で対話する
俳句や川柳は、「読者」からいきなり「作者」になれる文芸です。
俳句には五七五の定型に捕らわれない自由律俳句もあるので、オススメとのことです。
それから、まど・みちおさんの『全詩集』(伊藤英治 編/理論社)や『いわずにおれない』(集英社be文庫)から
いくつかの詩を紹介していただきました。
まど さんは、1994年に日本人として初めて国際アンデルセン賞の作家賞を受賞したのですが、
児童文学の世界のノーベル賞と言われる同賞で、詩人が作家賞を受賞したのも初めてのことでした。
昔は子どもたちが童謡や唱歌を歌うのがは当たり前のことでした。
今も歌い継がれている曲はありますが、『おぼろ月夜』や『春の小川』のように
五感を働かせる描写のものは少ないです。
たまには目を瞑ってみたりして、意識的に五感を働かせるのも良いものです。
自分で実際に体感して習得したり他人と共感しあえることは、人として重要なことですが、今はそれがうまくできない子どもや大人が増えています。
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』(上遠恵子 訳/新潮文庫) では、作者が幼い甥っ子を連れて自然の中に出かけ、さまざまなものを体感し、それを彼と共感する様子が書かれています。
彼女のように大自然に入っていかなくても、道ばたの草や住宅街の庭木、町中を飛び交うツバメなど、身のまわりをよく見ると、興味深い世界が広がっています。
そのことに気づき、その時に感じたことを、誰かと共有するのは素晴らしいことです。
「気づき」や「ひらめき」は文章を書く際にも役に立つことを覚えておいてください。
休憩をはさんで後半は、『ダンゴムシに心はあるのか』(森山徹 著/ヤマケイ文庫) を見ていきました。
ダンゴムシの話ではありますが、心は何か・心はどこにあるか、について考察する難しい文章でした。
結論から言うと、脳を持たないダンゴムシでも、行動実験を通じて「心がある」といえるのではないかとのことでした。
そして、『ぼく、だんごむし(かがくのとも傑作集 )』(得田之久 著・たかはたきよし 絵/福音館書店) を紹介していただきました。
最後に、今回の課題は「ぼくは○○」「わたしは××」など、何かになりきったつもりでてお話を書く、というものです。
一人称は、「俺」でも「うち」でもなんでもかまいませんし、主人公が生物でも無生物でも良いです。
それになりきったらどんな行動に出るか、どんな事件が起こるか、なった気持ちで書いてください。
参考になれば…と、長新太の『ぼくはイスです』(亜紀書房) を紹介してくださいました。
いつも腰掛けられるばかりのイスが、何かに腰掛けに行ったらどうなるかというお話です。
このように、なりきったらどんなことが起こればおもしろいかを考えましょう。
対象年齢も、文章のスタイルも(長編・絵本のテキスト 問わず)も自由です。
このコースでは、創作とそれ以外の課題を交互に書いて提出します。
いろんなタイプの文章を書くことで、「書く力」がついていきます。
今回配布された比喩表現についての資料は次回(5月11日)使いますので、
忘れないように持って来ててください。よろしくお願いいたします。