気がついたら京都庭園めぐりの話しが一休みして一ヶ月も経っていました
たくさんの庭を見てきたのに,なかなか記録が進みませんが,忘れないようにコツコツ地道に書いていきたいと思います
京都に着いた初日,東福寺~あじき路地~昼食で2時半くらい.
予定よりだいぶ押したスケジュールになっていました.
あじき路地で職人技を見た後,河原町五条から205系統のバスに乗り込み,一気に北へ.
大徳寺前で下車.
こんな,何気ない街角に500年以上前から存在する建物が残っているというのが不思議な感じでした.
まず,大徳寺の塔頭の中でも最も古いお寺の龍源院(りょうげんいん)へ.
1502年に大徳寺第72世住職東渓宗牧を開山として,能登の領主,畠山義元が豊後の大友義長らとともに創建.方丈,玄関,表門が創建当時のものと言われているそうです.
阿吽の石庭
東西に用いられている基礎石は聚楽第のもの.
「あうん」は吸う息,吐く息で,陰陽,天地,宇宙の真理をそのまま表している,ということです.
方丈前石庭「一枝担(いっしたん)」
かつてここに樹齢700年のサザンカ‘楊貴妃’の老木が生い茂っていたそうですが,昭和55年に枯死したため,現在の住職が蓬莱式庭園を作庭したそうです.
奥から,鶴島,蓬莱山,手前の苔と石組みが亀島,白砂が大海原を表現しているそうです.
方丈の北側には竜吟庭
室町時代特有の三尊石組からなる須弥山形式の枯山水庭園で,相阿弥の作と伝えられ,青々とした杉苔が大海原を表し,石組みが陸地を表しているそうです.
中央の須弥山石は,誰も窺い知ることが出来ない悟りの極致を表現していて,その前にある丸い石(遙拝石)は,この理想,目的に一歩でも前進し,近づこうという信心を表しているということです.
よく,白砂で大海原を表現されているように思いますが,苔でも海を表すことがあるんだなと思いました.
最後のお庭は方丈の東にある「東滴壷(とうてきこ)」
日本最小の石庭と言われ,有名な壺庭だそうです.
一滴の水が大海原に広がっていくイメージを表現しているそうです.
パンフレットには格調高い石庭である,と書いてありますが,「格調高い」という感覚が見る目が出来ていないせいか,よくわかりません.
ただ,とてもシンプルで狭くて,周りにも何もなくて狭い場所でこの庭と対峙しなければならないのですが,何か緊張感のような,山奥で源流の水が一滴流れ出すのを見るような,そんな清々しいものを感じた気がしました.
たくさんの庭を見てきたのに,なかなか記録が進みませんが,忘れないようにコツコツ地道に書いていきたいと思います
京都に着いた初日,東福寺~あじき路地~昼食で2時半くらい.
予定よりだいぶ押したスケジュールになっていました.
あじき路地で職人技を見た後,河原町五条から205系統のバスに乗り込み,一気に北へ.
大徳寺前で下車.
こんな,何気ない街角に500年以上前から存在する建物が残っているというのが不思議な感じでした.
まず,大徳寺の塔頭の中でも最も古いお寺の龍源院(りょうげんいん)へ.
1502年に大徳寺第72世住職東渓宗牧を開山として,能登の領主,畠山義元が豊後の大友義長らとともに創建.方丈,玄関,表門が創建当時のものと言われているそうです.
阿吽の石庭
東西に用いられている基礎石は聚楽第のもの.
「あうん」は吸う息,吐く息で,陰陽,天地,宇宙の真理をそのまま表している,ということです.
方丈前石庭「一枝担(いっしたん)」
かつてここに樹齢700年のサザンカ‘楊貴妃’の老木が生い茂っていたそうですが,昭和55年に枯死したため,現在の住職が蓬莱式庭園を作庭したそうです.
奥から,鶴島,蓬莱山,手前の苔と石組みが亀島,白砂が大海原を表現しているそうです.
方丈の北側には竜吟庭
室町時代特有の三尊石組からなる須弥山形式の枯山水庭園で,相阿弥の作と伝えられ,青々とした杉苔が大海原を表し,石組みが陸地を表しているそうです.
中央の須弥山石は,誰も窺い知ることが出来ない悟りの極致を表現していて,その前にある丸い石(遙拝石)は,この理想,目的に一歩でも前進し,近づこうという信心を表しているということです.
よく,白砂で大海原を表現されているように思いますが,苔でも海を表すことがあるんだなと思いました.
最後のお庭は方丈の東にある「東滴壷(とうてきこ)」
日本最小の石庭と言われ,有名な壺庭だそうです.
一滴の水が大海原に広がっていくイメージを表現しているそうです.
パンフレットには格調高い石庭である,と書いてありますが,「格調高い」という感覚が見る目が出来ていないせいか,よくわかりません.
ただ,とてもシンプルで狭くて,周りにも何もなくて狭い場所でこの庭と対峙しなければならないのですが,何か緊張感のような,山奥で源流の水が一滴流れ出すのを見るような,そんな清々しいものを感じた気がしました.