先々週の京都見学の続きです。
醍醐寺からJR六地蔵駅までバスで移動し、そこから歩いて木幡小学校に行きました。
別に小学校に用事があったわけではありません。
木幡小学校の校庭の地下には、藤原道長が建立した浄妙寺が眠っているのです。
これまで何度か発掘されていて、法華三昧堂と多宝塔の2つの建物の周りを築地塀で囲っていた小規模なお寺であることが分かっています。
建立されたのは寛弘2年(1005)。
つまり、年代と規模が長者ヶ原廃寺跡とほぼ同じなのです。
この時期のお寺はあまり数はありません。
それは、残っている建物という意味でも、遺跡という意味でもです。
いつか行きたいと思っていたのですが、やっと念願かないました。
とはいっても、平日に行ったので校庭の中に入れたわけではなく、遠くから眺めただけですが。
行って何かが分かるというわけではないのですが、その場に立ち、その頃のことに思いを馳せることに意味があるとkaneurikichiji は考えています。
正門前には遺跡の標柱があります(左)。浄妙寺跡はこの校庭の下に。
醍醐寺からJR六地蔵駅までバスで移動し、そこから歩いて木幡小学校に行きました。
別に小学校に用事があったわけではありません。
木幡小学校の校庭の地下には、藤原道長が建立した浄妙寺が眠っているのです。
これまで何度か発掘されていて、法華三昧堂と多宝塔の2つの建物の周りを築地塀で囲っていた小規模なお寺であることが分かっています。
建立されたのは寛弘2年(1005)。
つまり、年代と規模が長者ヶ原廃寺跡とほぼ同じなのです。
この時期のお寺はあまり数はありません。
それは、残っている建物という意味でも、遺跡という意味でもです。
いつか行きたいと思っていたのですが、やっと念願かないました。
とはいっても、平日に行ったので校庭の中に入れたわけではなく、遠くから眺めただけですが。
行って何かが分かるというわけではないのですが、その場に立ち、その頃のことに思いを馳せることに意味があるとkaneurikichiji は考えています。
正門前には遺跡の標柱があります(左)。浄妙寺跡はこの校庭の下に。