宇治神社から朝霧橋を渡って、平等院に。
恥ずかしながら、やって来たのは初めて。
宇治って京都や奈良のついでにいつでも行けると思っていたので、いつまでも行かなかったんですよね。
もともと藤原道長の別荘・宇治殿だったところを、子の頼通が1052年(永承7)寺院に改めたもの。
その翌年(天喜元)に鳳凰堂の名で親しまれている阿弥陀堂が建立されました。
※鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代からのようです。
1052年は、仏陀の入滅から2000年が経ち、仏法が廃れる末法の初めの年。
その年に寺に改められた平等院は、極楽往生を願って、その極楽を模して造られたのでしょう。
阿弥陀堂の内部には金色の阿弥陀如来像が須弥壇の上に安置され、その上には天蓋がめぐらされています
堂内のの壁には極楽浄土の様子が描かれ、また雲に乗った菩薩像(雲中供養菩薩像)が掛けられています。
当然、当時は極彩色でした。
kaneurikichiji は見たことはありませんが、まさに極楽浄土。
平安時代の京の子どもは、「極楽をいぶかしくば、宇治の御堂を礼すべし」という歌を歌っていたようです(『後拾遺往生伝』という平安時代の仏教説話集の25話)。
そんな歌が歌われていても不思議ではないのが、鳳凰堂。
でもですね、先の話には続きがあって、その子の母親は次のように言ったようです。
「工巧みにして美を尽くすといえども、生本に似るべからず」
工芸が巧みで美を尽くしていても、ホンモノには似ていない
まぁ、そのお母さんもホンモノの極楽を見たわけではないのでしょうが。

鳳凰堂。北東からと南東から(右)。
午後に撮影したのですが、阿弥陀堂の撮影は朝に限りますね。東向きなので。

中堂の正面から見た阿弥陀如来。現在の地面すれすれから見ると、往時の地面に立った人の目線となります。

阿弥陀堂の中に入ってガイドさんの説明が聴けます。別途300円必要。

たまにはこんな写真も。阿字池の水面に映る鳳凰。
現在は複製が載せられています。本物は平等院ミュージアム鳳翔館に展示されてます。
恥ずかしながら、やって来たのは初めて。
宇治って京都や奈良のついでにいつでも行けると思っていたので、いつまでも行かなかったんですよね。
もともと藤原道長の別荘・宇治殿だったところを、子の頼通が1052年(永承7)寺院に改めたもの。
その翌年(天喜元)に鳳凰堂の名で親しまれている阿弥陀堂が建立されました。
※鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代からのようです。
1052年は、仏陀の入滅から2000年が経ち、仏法が廃れる末法の初めの年。
その年に寺に改められた平等院は、極楽往生を願って、その極楽を模して造られたのでしょう。
阿弥陀堂の内部には金色の阿弥陀如来像が須弥壇の上に安置され、その上には天蓋がめぐらされています
堂内のの壁には極楽浄土の様子が描かれ、また雲に乗った菩薩像(雲中供養菩薩像)が掛けられています。
当然、当時は極彩色でした。
kaneurikichiji は見たことはありませんが、まさに極楽浄土。
平安時代の京の子どもは、「極楽をいぶかしくば、宇治の御堂を礼すべし」という歌を歌っていたようです(『後拾遺往生伝』という平安時代の仏教説話集の25話)。
そんな歌が歌われていても不思議ではないのが、鳳凰堂。
でもですね、先の話には続きがあって、その子の母親は次のように言ったようです。
「工巧みにして美を尽くすといえども、生本に似るべからず」
工芸が巧みで美を尽くしていても、ホンモノには似ていない
まぁ、そのお母さんもホンモノの極楽を見たわけではないのでしょうが。


鳳凰堂。北東からと南東から(右)。
午後に撮影したのですが、阿弥陀堂の撮影は朝に限りますね。東向きなので。

中堂の正面から見た阿弥陀如来。現在の地面すれすれから見ると、往時の地面に立った人の目線となります。

阿弥陀堂の中に入ってガイドさんの説明が聴けます。別途300円必要。

たまにはこんな写真も。阿字池の水面に映る鳳凰。
現在は複製が載せられています。本物は平等院ミュージアム鳳翔館に展示されてます。