かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

平等院に行って来ました

2011年10月28日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
 宇治神社から朝霧橋を渡って、平等院に。

 恥ずかしながら、やって来たのは初めて。

 宇治って京都や奈良のついでにいつでも行けると思っていたので、いつまでも行かなかったんですよね。

 もともと藤原道長の別荘・宇治殿だったところを、子の頼通が1052年(永承7)寺院に改めたもの。

 その翌年(天喜元)に鳳凰堂の名で親しまれている阿弥陀堂が建立されました。
  ※鳳凰堂と呼ばれるようになったのは江戸時代からのようです。

 1052年は、仏陀の入滅から2000年が経ち、仏法が廃れる末法の初めの年。

 その年に寺に改められた平等院は、極楽往生を願って、その極楽を模して造られたのでしょう。

 阿弥陀堂の内部には金色の阿弥陀如来像が須弥壇の上に安置され、その上には天蓋がめぐらされています

 堂内のの壁には極楽浄土の様子が描かれ、また雲に乗った菩薩像(雲中供養菩薩像)が掛けられています。

 当然、当時は極彩色でした。

 kaneurikichiji は見たことはありませんが、まさに極楽浄土。

 平安時代の京の子どもは、「極楽をいぶかしくば、宇治の御堂を礼すべし」という歌を歌っていたようです(『後拾遺往生伝』という平安時代の仏教説話集の25話)

 そんな歌が歌われていても不思議ではないのが、鳳凰堂。

 でもですね、先の話には続きがあって、その子の母親は次のように言ったようです。

 「工巧みにして美を尽くすといえども、生本に似るべからず」
   工芸が巧みで美を尽くしていても、ホンモノには似ていない

 まぁ、そのお母さんもホンモノの極楽を見たわけではないのでしょうが。


鳳凰堂。北東からと南東から(右)。
午後に撮影したのですが、阿弥陀堂の撮影は朝に限りますね。東向きなので。



中堂の正面から見た阿弥陀如来。現在の地面すれすれから見ると、往時の地面に立った人の目線となります。


阿弥陀堂の中に入ってガイドさんの説明が聴けます。別途300円必要。


たまにはこんな写真も。阿字池の水面に映る鳳凰。
現在は複製が載せられています。本物は平等院ミュージアム鳳翔館に展示されてます。

コメント (3)
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