薪ストーブ暮らしが大好きでブログ書いてます。
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薪ストーブ|薪焚亭
寿司割烹魚紋

これまで、何度も魚紋のことはブログで書いてきたんだが、振り返ってみても正式な店の名前をタイトルにして書いたことがなかったかも? なので、今日はタイトルを 「寿司割烹 魚紋」 としてみたんだけれども、使ってる写真はと言うと、長年通って初めて食べたものなので一番魚紋らしくないものかも知れないな。
それに、記事内容も魚紋とは限らない。 だらだらと、つまりはネタがない(笑)
今日もパソコンからヨロシクです!

一昨日の記事 のコメント返信でも書いたんだが、自分が子供の頃って現代と比較したらすごく貧しかったなと思う。 もちろん、あの頃はボロ長屋もまだたくさんあった時代だし、自分だけが特別貧しかったと言うことじゃないが、鯖缶の骨目当てに妹と競って食べてたあの頃は人として幸せだったんだなと思う。
鯖の缶詰たった1つで、4人家族がちゃぶ台を囲むこと、笑いの絶えない当時の茶の間の風景は、自分の記憶にとって、まさに昭和そのものだ。
なので、貧しくたって、それが不幸なことだなんて思ったこともないし、今振り返ってもネガティブな感情はなくて、むしろハングリーで、ある意味、向上心や野心があって目標が持てた時代だったからみんな生き生きとしていて、幸せだったなと思う。
日本の学校給食もそうなんだが、育った時代が10年違うと献立もずいぶんと違っている。 細君とは8つ年が離れてるんだが、彼女は学校給食だけでなく、子供時代の生活からして自分とはまるで違っていて、おそらくそれは飽食の時代の始まりの中にいたと思われ、自分が子供の頃に当たり前だった家庭の献立や弁当のおかず等々は、彼女に話しても実感として理解できないことだったりする。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、そういう時代に生まれ育ったということだ。
そういや、弁当なんていつも茶色いおかずと梅干だったな。 夕食で食べた煮物や炒め物の残りとか、せいぜい玉子焼きかな。 日の丸じゃなかっただけまだマシなんだが、そもそもお袋に彩りなんて求めちゃイカン(笑)
下の写真は5月の中旬にパートナーさんと2人で魚紋へ行った時のものです。
彼とは3つ違いなんだが、育った時代背景が大体一緒だし何故か気が合います。 最初の出会いが問題ありだったのか、自分の性格がフランク過ぎたのか、まぁ今となってはもうやり直せないんだが、初対面? の時、てっきり年下だと思って話し始めたので、実際には年下だった自分がいつもタメ口で偉そうにしゃべってます(笑)
今さらねぇ~ 変えられない。 まぁ勘弁してやってくださいな。

さて、今日のトップの写真は魚紋で食べた鯨の刺身盛り合わせなんだが、カノコとウネスの赤と白ベーコン、あとは何だっけ? 聞いたはずだけど知らない(笑)
鯨肉と言えば、子供の頃は学校給食の定番で、それはいつも角煮だったんだが、あんまり好きじゃなかったな。 でも、残さずにちゃんと食べてたけどね。 て言うか、給食はお代わりはしても残したことなんて一度もなかったな。
今でも鯨肉はそんなに好きな方じゃないから、積極的に注文することはないんだが、魚紋ではいつもお任せなので、供されれば食べる。 ただそれだけです。
まぁ鯨は今じゃ珍味の部類なんだろうが、写真の量で一人前なんだが、実はやっとの完食でした。 もう食わなくていいや(笑)

まきたきてー発電所 毎日の発電実績
2014年のキュウリ収穫累計 : 118本/ナス収穫累計 : 50本
大玉トマト収穫累計 : 1個/小玉トマト収穫累計 : 21個
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