枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

備後福山、明王院本堂・五重塔を訪ねる

2017-09-05 | 古い神社や寺で
          中国地方には見事な五重塔や三重塔を持つ寺が多くあります。山口の瑠璃光寺、
          尾道の向上寺、美作の長福寺など。この明王院もその一つ、比較的近場でもあり
          よく足を運びます。何度行っても、新たな発見と感動を戴けます・・それが楽しみ。

          明王院。広島県福山市草戸にあり、正式には中道山円光寺 明王院。
          今は、真言宗大覚寺派の寺ですが、その前身、常福寺は、全国で実に多くの寺
          が開かれたと伝える不思議の年、大同2年(807年)弘法大師の開基という古刹。
          江戸時代に現寺名に改称。
          本堂は内海最古と言われる1321年の建立、隣の五重塔は、南北朝時代の
          1348年の建立。いずれも国宝。
          五重塔は純和様、木組みは三手先組、軒下は二軒繁垂木。下から見上げたとき
          の五層の軒が作り出す朱い襞模様が、実に美しいのです。
          ただこの度は、その朱の褪色、汚れが目立ちました。残念なことです。
          本堂は大仏様に禅宗様を加味した折衷様の代表的な建築と言われます。
          正面の広い向拝、前面を飾る桟唐戸の美しさは私にとっては新たな発見でした。

          今は、芦田川の河畔の寂しい小丘の中腹に位置しますが、その昔は、瀬戸内海の
          入江が開け、この寺の前は、天然の良港として栄えたといいます。
          港の人々の浄財によって建てられたと伝える朱塗りの五重塔は、沖を行く船からも
          人々の願いと行路を示すように良く見えたことでしょう。・・明るい陽光のもと。
          いつまでも大事に守っていきたいものです。























































































安国寺不動院金堂、再訪・

2017-07-28 | 古い神社や寺で
私の住処から最も近い国宝建築であり度々訪れ、このブログにももう何度目かの登場です。
          今は一般には不動院と呼ばれる真言宗の寺、朝日山安国寺不動院。
          その金堂は、1540年頃、山口に建立されていたものを、戦国時代、この寺の住持であった
          恵瓊(えけい)が移築したものと伝えます。
          恵瓊という僧、羽柴秀吉の毛利攻めの際毛利の使僧として、また関ヶ原の戦いでの
          西軍の一翼として、政治の世界に登場しますね・・

          このお堂は、東京東村山の正福寺地蔵堂、鎌倉、円覚寺舎利殿、下関、功山寺仏殿などと
          ともに禅宗様の代表的な建物と言われますが、それらのなかでも最も壮大な規模を誇ります。
          屋根と庇の線と面が描く、無限の天空に向って展開する世界と・・
          その下の木組みが造り出す、人の心の中に向う世界と・・
          訪れる度に新たな感動を受けるお堂でもあります。

          金堂の前、楼門の仁王、その800年を生きてきた素朴な表情、作者の強い心が伝わってきます。
          併せて載せておきます。

















































































京都嵯峨野、常寂光寺、多宝塔

2017-01-26 | 古い神社や寺で
          (これは昨年の12月、嵯峨野に行ったときのもの。ですからまだ紅葉が随分残っています。
          今頃出してきました。出し遅れです・・)

          常寂光寺は、百人一首でも詠まれる小倉山の中腹の斜面、藤原定家の山荘があったと伝わる地に、
          慶長元年(1596)に日蓮宗の寺として開山。
          簡素な山門をくぐり仁王門。南北朝時代の建立。藁葺屋根が珍しい。
          石段を上った奥の高みに多宝塔が立ちます。ここからは嵯峨野も一望のもと。
          多宝塔は江戸時代初期の元和6年(1620)の建立。
          高さ12.3m、檜皮葺。特に上層の四手先組物は見事。
          上層部がやや高く造られているよう。これは、斜面に立地し下から見上げることを
          前提にした設計とも思えます。重文指定。

          この塔は、国宝・重文指定の40基の多宝塔のなかでは時代が下るもので、
          若い方から数えて6番目に当たる。しかし、その立地も相まって、木組と屋根の
          見事さは特筆すべきものと思われました。
          私としては13番目の多宝塔を見せていただいたことになるのですが、あの大阪泉佐野野の慈眼院
          の多宝塔とともに特に印象深いものとなりました



































































































紀州根来寺、その2、大塔

2016-10-18 | 古い神社や寺で
          根来寺の中心、大塔は天文16年(1547)の建立。
          多宝塔の形式を踏襲しますが、下層は方5間、高さ35,1m、本瓦葺き。
          振り仰げばまさに圧倒されるほどの大きさです。
          この塔以外で大塔と呼ばれる塔は、1607年、大阪住吉大社神宮寺に建てられ、明治に香川県切幡寺に
          移設された二重塔形式の塔、それに昭和12年に再建された高野山金剛峰寺の多宝塔形式の塔。
          この他に、現存するものはないと思えます。
          根来寺の大塔が貴重なものであり、国宝に指定されている由縁でもありましょうか。
          多宝塔形式のこの塔は、真言密教の教義を形の上で表現したものと言われます。
          多くの多宝塔は、くびれた胴の上の上層のあの拡がりのなかに無限とも思える世界を
          感じさせますが、この大塔では白い亀腹の上に乗った下層の拡がりとその壮大さに
          より心を奪われるように、私には感じられました。
          壮大な塔との稀有な出会いでした。























































































紀州根来寺、その1、大門から大塔へ

2016-10-09 | 古い神社や寺で
          和歌山県岩出市根来にあるこの寺。
          高野山の学僧であった覚鑁(かくばん、後に上人、興教大師)が1130年高野山内に
          一堂を建て伝法院と称したことに始まるとされます。後、高野衆徒の間の不和により
          覚鑁は根来の地に移ります。
          寺はその後、戦国時代の政争に積極的に加担し盛衰を繰り返します。
          (根来衆と呼ばれた僧兵の活動は様々な物語に語られていますね・・)

          大門は一山の総門で、寺の中心より1kも東にあります。当時の広大な寺域を伺わせる
          ものでしょう。現存する門は江戸後期の1850年の再建、高さ16.88m。
          両脇の仁王も含め、力の籠った実に立派な二重門であると感じさせられます。(県指定文化財)
          長い参道を歩くと大伝法堂をはじめ寺の中心に導かれますが、多くの建物は戦国時代の
          戦火を罹り焼失、再建されたもの。当初より残るのは、大師堂と大塔のみです。
          大師堂は1391年の建立。弘法大師を祀る簡素で趣ある風情のお堂です。(国重文)
          大伝法院と大師堂の間で一際辺りを圧するのが大塔。(国宝)これは次回にも再掲します。
          緑溢れる境内を歩くと、古色の五輪塔や石仏に慰められる・・根来寺は素晴らしい寺です。




 大門























  大師堂





 大塔



































 石仏





 百日紅