東大寺大仏殿の南正面に建つ南大門。
今見る門は、平安時代の応和2年(962)に暴風により倒壊した後、鎌倉時代の
正和元年(1199)に再建されたもの。
入母屋造、五間三戸、門形式からは二重門ですが、下層には天井が無く腰屋根構造。
基盤を含めた高さ25.46m、わが国最大の山門なのです。
屋根裏まで達する巨大な円柱は18本、長さ21m。
東大寺の僧、俊乗房重源(ちょうげん)が中国宋より伝えた建築様式、大仏様(だいぶつよう)
を採用した建物として知られます。因みに、純粋な大仏様の建物は、この南大門と
兵庫県の浄土寺浄土堂(以前にこのブログでも紹介した)の二つしか存在しないのです。
貫と呼ばれる柱を貫通する水平材を多用して、堅固な構造を実現しています。
軒を支える組物は、挿肘木を六段に組んだ六手先(むてさき)で、それを水平材の通肘木
で繋いでいるのです。垂木は端の数本を扇状に配した隅扇垂木(すみおうぎだるき)。
正に驚くべき構法です。
門の前に立って見上げれば、その荒けずりな豪快さが、無限のような感動を呼びおこします。
大仏様が日本建築に齎した影響は多大と言われますが、当時の日本人の心には
そぐわなかったのか、重源の没後、純粋な大仏様の建築が建てられることは無かったようです。
歴史に「もしも・・」が許されるならば、日本文化そのものもまた、少々異なった様相を呈した
のではないか・・などと思わせられるのです。
私は、これまで多くの山門を見てきましたが、この南大門ほど強烈な印象を残した門は
ありませんでした。
今見る門は、平安時代の応和2年(962)に暴風により倒壊した後、鎌倉時代の
正和元年(1199)に再建されたもの。
入母屋造、五間三戸、門形式からは二重門ですが、下層には天井が無く腰屋根構造。
基盤を含めた高さ25.46m、わが国最大の山門なのです。
屋根裏まで達する巨大な円柱は18本、長さ21m。
東大寺の僧、俊乗房重源(ちょうげん)が中国宋より伝えた建築様式、大仏様(だいぶつよう)
を採用した建物として知られます。因みに、純粋な大仏様の建物は、この南大門と
兵庫県の浄土寺浄土堂(以前にこのブログでも紹介した)の二つしか存在しないのです。
貫と呼ばれる柱を貫通する水平材を多用して、堅固な構造を実現しています。
軒を支える組物は、挿肘木を六段に組んだ六手先(むてさき)で、それを水平材の通肘木
で繋いでいるのです。垂木は端の数本を扇状に配した隅扇垂木(すみおうぎだるき)。
正に驚くべき構法です。
門の前に立って見上げれば、その荒けずりな豪快さが、無限のような感動を呼びおこします。
大仏様が日本建築に齎した影響は多大と言われますが、当時の日本人の心には
そぐわなかったのか、重源の没後、純粋な大仏様の建築が建てられることは無かったようです。
歴史に「もしも・・」が許されるならば、日本文化そのものもまた、少々異なった様相を呈した
のではないか・・などと思わせられるのです。
私は、これまで多くの山門を見てきましたが、この南大門ほど強烈な印象を残した門は
ありませんでした。