枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

八万四千地蔵の誓願、その後・・東京散歩

2012-09-29 | 古いもの、昔の人
          日暮里から人で混み合う銀座を歩きました。・・銀座といっても谷中銀座です。







          そこから谷中霊園を抜けると、街かどにお馴染み「吉田酒店」。江戸商家の展示建物。
          ここで酒買っちゃいけません。








          そして、いつの間にか上野桜木の浄名院の前に出ていました。
          ここは、以前東京に住んでいた頃は何度か来たことがある所です。
          寛永寺の子院のひとつ、浄名院。8月15日のへちま供養でも知られる寺です。
          明治9年、如運和尚が八万四千体の石地蔵建立を発願。全国の信者が加わり
          地蔵の数は増え続けていると言われてきました。
          しかし、今は石地蔵の間には雑草が生え、破損して消えかかっている地蔵も
          多くみられます。御守りする人の手もまわらなくなったのでしょうか・・
          それとも、諸行無常と思うべきなのでしょうか・・
          久しぶりの東京で見た、もう一つの風景です。
























































雄大な力の現れ・・極楽山浄土寺、浄土堂

2012-09-20 | 古い神社や寺で
          緑から今や黄金に変わる水田の中の道を行くと、やがて小高い丘の上に三角形の瓦屋根
          が見えてきます。これが、国宝中の国宝として名高い極楽山浄土寺、浄土堂(阿弥陀堂)。
          そして中には光輝く阿弥陀三尊がおわします。
          ここは兵庫県小野市浄谷の地。
          浄土寺の実質的な開山は、鎌倉時代の初め東大寺の勧進職にあった重源(ちょうげん)
          によるといわれます。
          開山当時より今にそのまま残る浄土堂の建立(1192頃)も重源が直接指揮したもので、
          自ら中国(当時は宋)留学で習得した最新の建築技術を適応したもの。
          (その建築様式は、わが国ではそれ以前の和様、後に主流となる禅宗様に対して
          大仏様(だいぶつよう)と呼ばれます。純粋な大仏様の建物はいずれも重源の手になる
          東大寺南大門とこの浄土堂の二つしか現存しません。)
          その建築技術の確かさは、建立時から大修理が行われた昭和32年までの約770年間
          一度も解体されることなく持ち応えたことからもうかがえることでしょう。
  
          桁行三間、梁間三間、単層、殆ど反りを持たない宝形造本瓦葺の屋根。
          三間といっても柱間は20尺という大堂なのです。
          太い丸柱から何本も突き出る挿肘木が深い軒を支えます。堂内部は更にダイナミックな
          大空間、露出した構造材、虹梁が放射状に展開しています。
          このシンプルさ、雄大さこそ大仏様の特徴なのでしょう。
          真言僧であった重源は浄土信仰も併せもち、自らを南無阿弥陀仏と号していたという・・
          堂の軒瓦一つ一つにそれを刻んだことにもその思いが覗えましょうか・・

          現在無住の浄土寺は、隣接する塔頭寺院から人が来て、その内部に入れて戴けます。
          5.3mの金色の阿弥陀像。背後の蔀戸を開け放てば、そこは夕日の沈む西方浄土。
          堂内は真っ赤に染まるといいます。阿弥陀仏を拝しながら、その情景を心の内に
          思い描くのです。


















































































この極彩の色は・・泉生山酒見寺 その1 多宝塔

2012-09-10 | 古いもの、昔の人
          泉生山、酒見寺(さがみじ)は兵庫県加西市にある真言宗の寺。
          745年聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝わります。平治の乱と天正年間
          の兵火で全山焼失しますが、江戸時代に入り姫路藩や幕府の支援により再興
          されたといいます。
          市内北条町の街のなか、立派な楼門をくぐると本堂までの参道に青銅製の
          飾り燈籠が並び独特の雰囲気を感じさせます。
          かなり広い境内で多くの建物がありますが、この寺を特徴付けるものはやはり
          多宝塔でしょう。(国重文指定)
          多宝塔は1662年の再建。高さ15.4m。和様、禅宗様の折衷様式で、ほぼ
          標準的な備えで整った全身像を持つように思えます。上重が桧皮葺き、下重が
          本瓦葺きという他に類がない屋根。そして、何といっても塔全体に、雲、波、
          牡丹唐草などの紋様が極彩色で描かれているのです。
          この彩色は、当初からのものではなく、建てられて50年以上の年月の間に
          徐々に描かれたといわれます。
          雨の中、人の姿も無い境内でしたが、見上げれば、この彩色の洪水のなかに
          浸って唖然とするばかりでした。











































































橋の周囲の行楽・・岩国錦帯橋

2012-09-05 | 古いもの、昔の人
          ある日、ちょっと近くまで行ったので錦帯橋まで
          足を伸ばしてみました。
          私の所からは近くですから、もう何度目かに
          なるのですが・・やっぱり随分の人出です。
          上がったり下がったり、歩き難い橋を渡るのは、
          なかなか楽しいし、錦川の水はきれいだし、
          川原は格好の休憩所。
          今回は古いものの解説は止めにして、
          行楽の人々の姿を中心に写真散歩することに
          しました。
          (カテゴリーは「古いもの昔の人」としましたが、
          今回は「・・・今の人」ですなー)