枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

商人の力を見る思い・・富田林寺内町、旧杉山家住宅

2011-03-06 | 古いもの、昔の人
          大阪府富田林市の寺内町(じないまち)。
          寺内町とは、室町時代末期、いわゆる戦国時代、浄土真宗の寺を中心に堀や
          土塁で防御した町をいうそうです。
          あの織田信長に頑強に抵抗した石山本願寺へと繋がる、この時代特有の
          世の動きなのでしょうか。

          現在、富田林のこの地区には、約180棟の家が、当時から江戸、明治、大正、
          昭和初期へと伝統を受け継いで残されています。
          その街の中核として、最も古くまた豪勢な家が旧杉山家住宅(国重文)です。
          杉山家は、江戸時代初期より酒造業を営み発展してきたと言います。
          現存する建物は、17世紀中期から18世紀中期にかけてのもので、農家型の
          平面形状と技法を随所に採り入れ、高い天井、壮大な屋根、頑強な構造、
          洗練された数寄屋造りの座敷など・・目を見張らせます。
          この地方の商人の力を存分に伺うことが出来るように思いました。















































































黒衣の鳳凰の舞う・・ 泉佐野、慈眼院 多宝塔

2011-03-02 | 古い神社や寺で
          大阪府の南、泉佐野市日根野の慈眼院(じげんいん)。
          673年、勅願寺、願成就寺として開かれたと伝える古刹。
          戦国期に兵火を受けた後、豊臣秀頼により再興。その寺の坊の一つが
          仁和寺から院号「慈眼院」を受け、真言宗御室派の末寺となる。

          院と称するだけに小じんまりとした寺。案内を乞うて、木立に囲まれた薄暗み、  
          一面の苔の上に。
          そこには黒衣を纏った一羽の鳳凰が立っている様、多宝塔。
          鎌倉時代の1271年の建立。高さ10.8m。木造多宝塔としては最小とか。
          屋根は部厚い桧皮葺。下重は二手先組物、二軒繁垂木。上重は四手先組物。
          中備え中央間には鎌倉期独特の蟇股。

          上重の円柱は細く、屋根の拡がりを強調しているようです。
          ほんとに小さな塔ですが、振り仰げば、その軒下に拡がる無限の広大な世界
          に惹き込まれるようです。
          石山寺、高野山金剛三昧院の多宝塔とともに日本三名塔と一つと言われます
          が、この塔は、多宝塔の様式を超えて、人の心を捉えて離さぬ独特の世界を
          持つゆえに、格別のものであると、私には思えました。