枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

故郷に還る・・ハワイ移民集会場(明治村)

2012-06-20 | 古いもの、昔の人
          ハワイ島のヒロに日本人牧師が、日本人のために建てた教会がありました。
          その後、教会の役目を終えた建物は日本人の集会場になっていたそうです。
          ここに見る姿は、明治22年頃の建物の姿を復元して移築したもの。
          単純な長方形平面で中は一室。外壁は洋風下見板平張。屋根は波板鉄板葺き。
          それでも、精いっぱいに正面妻壁の中央に三角形の屋根換気口、軒下に櫛形の装飾。
          建物の前にあるハワイ王国の国旗。「ペペケオ耕地の鐘」と呼ばれた鐘は、
          移民達に、毎朝4時半の起床、6時の作業開始、夕方4時半の終了を知らせたという。

          立派な建物が目白押しの明治村にあって、この素朴な建物が何故か心惹いて
          止まないのです。
          ハワイ移民にとって、夢見る懐かしい日本の地に蘇ったという思いの所為
          なのでしょうか。
          (昭和44年明治村に移築。)

























































病棟の廊下の窓から・・日本赤十字社中央病院病棟(明治村)

2012-06-10 | 古いもの、昔の人
          明治10年の西南戦争の際、敵味方の区別なく傷病兵の救護に当った博愛社が
          前身。明治19年、ジュネーブ条約に加盟し、日本赤十字社と名を改め、皇室から
          東京渋谷区の広尾に敷地を下賜され、明治23年にこの病院が建設されます。
          広大な敷地に中庭を囲んで9棟の病棟が並ぶ、大規模な病院です。その内の
          1棟が移築されています。
          設計は、赤坂離宮の設計で知られる片山東熊。離宮とは異なり、質素で落ち付いた
          建物として計画。外部はハーフ・ティンバーを模したデザインで、軒の飾りや棟上の
          換気塔など随所に楽しい工夫が見られます。
          樹木に囲まれた今の移築環境は、ひょっとしたら新築当時の広尾を情景を想い
          出させるものかもしれません。
          広くとられた廊下の窓には、森の木々と広い空が映っていました。
          病室のベッドの傍には、点滴の器具や病院食の食器まで置かれ、あの消毒の匂い
          とともに看護婦さんの高い声まで聞こえてきそう・・
          希望と不安、喜びと悲しみ、そんなものが縒り合わさった病棟独特の空気が
          漂ってくるようでした。
          (昭和49年明治村に移築。)






































































撃剣の音や声が・・ 第四高等学校武術道場「無声堂」(明治村)

2012-06-05 | 古いもの、昔の人
          武道が学校体育の正課として採り入れられたのは、明治の初期から、って
          思っている人が多いのでは・・実は私もそうですが・・と思いますが、実は
          明治の終り頃からのようですね。
          この武術道場「無声堂」は、金沢の第四高等学校に大正6年に建てられたもの。
          柔道、剣道、弓道の三つの道場を兼ね備えた建物。
          一見、和風かと思ってしまいますが、様式としては洋風建築物なのです。
          小屋組構造に洋小屋組を採用することにより、長大な梁間が実現できていると
          言われます。柔道場としては、床の弾力を増すために床下にスプリングを入れたり、
          剣道場は音の反響を良くするため、床下に共鳴用の溝を掘ったり、なかなか
          おもしろい試みも盛り込まれています。

          輝くように磨かれた板床に座って、荒々しい風情の側板に対面していると、
          何処からか撃剣で竹刀がふれ合う音や、「おう・・」という気合いの声が聞こえて
          きたような・・武術道場でした。
          (昭和45年明治村に移築。)