枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

旧陸軍墓地、桜散る頃・・

2017-05-25 | ヒロシマ
          比治山は広島の市街の中央部にある小高い丘です。海が見渡せるその南部分には、旧陸軍墓地
          があります。明治の初めから太平洋戦争の前まで広島は軍都であり、戦地で病となり
          陸軍病院等に送られ、亡くなった軍人が葬られていたのです。戦後は米軍の原爆被害調査
          のための施設を建設するため、墓地は破壊され、堀り出された遺骨は、山の斜面の谷間に
          捨てられたといいます。
          戦後15年経た1960年に散乱した墓石を集め今に見る慰霊の施設となりました。
          施設の一隅、海を臨む地に明治時代日本軍と一緒に戦ったフランス人兵士の墓があります。
          ここは遺骨も残されています。

          比治山の桜が散る頃でした。
          並べられた墓石は、墓標の刻字は日本全国数千に及びます。それはヒロシマの、日本の
          悲しい歴史を語っているように思えます。
          原爆が落ちてくる前、広島が軍都であったことが語られることは少ないようです。
          私たちはこのことも忘れてはならないでしょう。








































































広島の「よさこい」2017、その笑顔

2017-05-15 | ヒロシマ
          五月の連休の一日、広島フラワー・フェスティバルのイベントの一つとして開催される
          きんさい YOSAKOI」。
          市内の職場や学校、県内の地域の集まり、そして四国各地の「よさこい連」、それらが
          集い、広島の中央の通りを踊り歩くのです。
          そのオオトリは本場高知のあの「須賀IZANAI連」が飾ります。
          これらの人々の熱気と笑顔に出会うため、今年もその場に出かけました。

          「よさこい祭り」は昭和29年高知市で始まった比較的新しいイベント。その僅かとも思える
          共通性のみを制限とした自由さゆえに、日本各地に広まり多くの「よさこい連」が生まれた
          と言われます。それは地域での絆づくりの役割の一つを担っていることでしょう。
          「踊って楽し、観て楽し・・」。踊る人々の笑顔の渦、その中に観る者の心も溶け込んでゆく・・
          若い人達の晴れがましさの混じった笑顔を追ってみました。





























































































広島県県北の一本桜を見る

2017-05-04 | 四季それぞれに
          広島県の北東端に位置する東城町にある三つの一本桜を見に行きました。(よいしょ、よいしょ・・)
          最初は、森湯谷のエドヒガン桜。高台にある樹高25mの大樹。散り始めでした。
          次は、小奴可のエドヒガン桜。樹高17m。山城跡の一角にあるため要害桜と呼ばれます。
          ここもやや散り始めでした。地元の多くの人が出て食事の店が開かれていました。
          最後は、千鳥別尺のヤマザクラ。樹高27m、県下第一の大樹と言われます。満開。
          池の傍の堂々とした樹形。根元に荒神さんを祀る小祠があります。

          夫々の樹の根元には小祠があったり、近くに石仏や墓があったり、地域の人々の
          心の拠り所となる場所に植えられ、江戸時代の初めから300年を生きてきた桜。
          ほんに周囲の人々の宝であると感じさせられます。
          まわりの人々により大事に育てられ続けてきた樹は、今は年に一度、遠来の観光客を招く
          ものともなっているのです。




 森湯谷のエドヒガン

















 小奴可の要害桜























 千鳥別尺のヤマザクラ