枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

兵舎が今に語ること・・歩兵第六聯隊兵舎(明治村)

2012-05-31 | 古いもの、昔の人
          明治新政府の軍制は、幕府を引き継いで、その多くをフランスから採り入れたと
          言われます。明治4年に、全国を四つの地域に分けて、それぞれに常設としての
          最大の陸軍部隊単位として鎮台が置かれます。その後、明治6年に、名古屋、
          広島にも鎮台が設けられ6鎮台となります。
          名古屋鎮台の内で、名古屋に置かれたものが歩兵第六聯隊なのです。
          兵舎等の軍用建築物もフランスから学んだものが多いようで、窓や入口の形など、
          フランス風といった感じもしますね。構造は兵舎だけあって頑丈に造られ、外部柱
          は全て土台から軒に達する太い通し柱。壁下地の木摺を斜めに打って、白漆喰で
          仕上げるなど、耐震性、耐候性にも優れたものとなっています。

          頑丈なベッドが並ぶ内部。廊下の向こうに隊長の姿もちらちら・・
          何棟もあった兵舎の1棟を、それも2/3ほどに短くしたものが移築再建されて
          いるのですが、その外観からも、内部からも、今に何かを訴えているような・・
          そんな聯隊兵舎に思えました。
          (昭和40年明治村に移築。)































































文明開化の誇りを・・三重県庁舎(明治村)

2012-05-07 | 古いもの、昔の人
          明治4年の廃藩置県によって中央政府より任命された府知事、県令が各府県に
          派遣されました。各府県では、当初は既存の建物を県庁舎として使っていましたが、
          開明的な県令は、先を争うように洋風の新庁舎を建設するようになったと言われます。
          この三重県庁舎は、明治9年県令岩村定高によって企画され、明治12年に完成したもの。
          設計は、地元三重県の大工、清水義八を中心に進められました。
          間口54mにも及ぶ大建築で、玄関を中心に、二層のベランダを廻した、左右対称の
          構成で、これは明治9年竣工の東京大手町の内務省庁舎に倣ったもの。
          構造は木造で、内外とも柱を見せない漆喰塗大壁。屋根は桟瓦葺き。

          玄関、ベランダに並ぶ円柱は、古代ギリシャ・ローマの神殿を模したもので、アーチ型
          の入口とともに誠に優雅。扉や窓の枠縁は「木目塗り」で塗装されているのです。
          建物内は、明治20年に改築された知事室、大広間(彩の間)が再現されています。
          赤い絨毯、白いカーテン、豪華なシャンデリア、輝く床、机・・
          明治の勢いに満ちた地方行政の香りが、匂ってくるようでした。
          (昭和41年明治村に移築。)











































































町屋の美しき光と陰・・  東松家住宅(明治村)

2012-05-02 | 古いもの、昔の人
          (ちょっと前のことですが、念願の明治村(愛知県犬山市)に行きました。
          明治村には、明治期に建てられた建物が日本全国から移築されているのですが、
          その中から、その時のその場所の人の生活の匂いのようなものが強く感じられた・・
          もちろん私にとってですが・・そんな建物をいくつか、これからぼつぼつと紹介させて
          いただきます。 さて、まず最初は・・)

          東松家は、名古屋の中心部にあった商家。
          明治20年代まで油問屋、その後昭和の初めまで貯蓄銀行を営んでいました。
          建物は、塗屋造という江戸時代以来の伝統工法によっていますが、見れば
          木造3階建という威容。
          江戸時代末期の平屋に明治28年2階を増築、更に明治34年3階を増築したと
          言われています。
          江戸時代には、武家以外の三階建ては許されず、明治に入ってから、東京、京都
          をはじめ順次全国でその禁令が解かれて行きます。しかし、それも大正8年に
          木造高層住宅が禁止されたため、三階建住宅は50年ほどの間しか造られなかった
          ことになります。
          正面の壁が三階まで直立した、和風建築としては嘗て見られない形態で、ビル化する
          商店建築の先駆けとも言われます。
          間口が狭く、裏まで抜ける土間の片側にミセ、座敷などが並ぶ典型的な町屋の構造。
          通り土間の上は3階まで吹抜けになっており、高窓から外光を採り入れています。
          数度の大地震にも耐えてきた漆喰仕上げの堂々とした正面、直立した杉皮葺き木造
          の側壁の頼もしさに圧倒される思いですが、その内部空間は更に驚き。
          高窓からの光はほど良く室内を照らし(写真ではどうしても薄暗く写ってしまいますが・・)
          日本建築の持つ空間の美しさに浸れるのです。
          (昭和40年明治村に移築。国重文指定)