枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

古民家の里を訪ねる

2018-10-30 | 古いもの、昔の人
広島県の北部、中国山地の只中、庄原市に「備北丘陵公園」があります。
          その一角にある「ひばの里」と名付けられた場所。
          そこには二軒の茅葺屋根の農家と長屋門を構えた屋敷が建っています。
          これらは近隣の民家を移設、または模して造られたもののようですが、
          特に屋敷の方はちょっと立派すぎて戸惑いを覚えるほどのもの・・
          それはそれとして、公園における季節ごとのもてなしやイベントの場として
          利用されています。
          ほんとに楽しい空間が設えられているのです。
          民家の前の畑では、実際の農作業も行われていました。      

          真っ赤な実のなる木のある生垣を越えれば、薄暗い三和土のある母屋の入り口。
          アサガオの簾に覆われた縁側に掛けさせていただきます。懐かしい木の香り。
          屋敷の方は、長屋門、土蔵、道具庫などの囲まれた広い母屋。広い池のある庭。
          庄屋さんの家でもこれほどのものは・・と思わせられられます。
          「ひばの里」にこんな屋敷を設けたプランナーの心意気が感じられるように
          思いました。









農家





























屋敷












































広島比治山の墓と石仏

2018-10-20 | 古いもの、昔の人
          比治山は広島の市街の中央部にある小高い丘。前にも紹介しました。
          海が見渡せるその南部分には、旧陸軍墓地があります。
          明治の初めから太平洋戦争の前まで広島は軍都であり、戦地で病となり陸軍病院等
          に送られ、亡くなった軍人が葬られていたのです。戦後は米軍の原爆被害調査のため
          の施設を建設するため、墓地は破壊され、堀り出された遺骨は、山の斜面の谷間に
          捨てられたといいます。
          戦後15年経た1960年に散乱した墓石を集め今に見る慰霊の施設となりました。
          私はどういう訳か、ここをよく訪れるようになりました。
          整然と並べられた墓石が何かを語るように迫ってくるのです。
          それは怨念と悔恨の叫びのように思えてなりません。
          添えた石仏は比治山の山裾にある多聞院遍照寺の境内のもの。
          古いものではありませんが、できるだけ優しい表情をいただける仏を選んだつもりです。
























































コスモス畑と蕎麦畑

2018-10-10 | 四季それぞれに
          畑中の道は何処まで続いているのか知れませんが、けっこう広いコスモス畑。
          畑のなかでは、ピンクや濃い赤のコスモスが奔放に咲き乱れていました。
          夕暮れが迫ってくると、辺りの暗さの中で、畑の赤、白、ピンクが未練ありげに茫としていました。
          遠くに山が見える所、
          このコスモス畑が何処にあったか・・それは秘密ごとです。









































          それからすこし歩いて・・
          近くの竹藪の傍に小さな蕎麦畑がありました。
          白い粉をまき散らしたようなソバの花。
          無色の花ながら、意外な迫力を秘めて迫ってくるのです。






































河口基督教会を訪ねて・・

2018-10-01 | 教会・天主堂を訪ねて
         久しぶりに古い教会を訪ねることができました。
         大阪市西区川口の日本聖公会河口基督教会。
         聖公会は16世紀、ローマカトリックより独立した英国国教会がその始まりです。
         日本聖公会には全国300の教会が所属しているそうです。
         この川口の地は、明治元年から明治32年まで外国人居留地とされた所。
         米国聖公会の宣教師ウイリアム主教が明治3年この地で宣教を始めたのがこの
         教会の第一歩になったと言われます。明治14年教会を設立。現在の礼拝堂が
         建設されたのは大正9年(1920)のこと。
          
         1995年の阪神・淡路大震災では大きな被害を受け、一時は取り壊しの危機に
         直面しますが3年をかけ全国の人々の支援により見事に復元されます。
         尖塔部分の煉瓦にその痕跡を見ることができます。
          
         鉄骨煉瓦造、堂内部にもその煉瓦を露わにし、独特の雰囲気を醸しだします。
         壮大な天井、照明、寄付金を貯めて1枚ずつ買い足したという花のステンドグラス。
         それは旧約聖書に出てくる花々だとか・・
         案内の方はイギリス積みの煉瓦と花の図柄を一際誇ります。
         「震災当時の信者は1500人、今はその半分・・」とも。
         心あたたまる、見事な教会との出会いでした。