枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

紀州の山里に・・長保寺(3) 多宝塔 

2014-03-20 | 古い神社や寺で
          本堂の右手に、小振りな多宝塔が立ちます。
          南北朝時代の延文2年(1357)の再建。本瓦葺、高さ13.4m。
          高欄のない縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓。中備の草花を透彫にした蟇股が美しい。
          下重に対して小さな亀腹と細い塔身を持ち、軒の深さを際立たせています。
          優美で古色を感じさせる見事な塔だと思わせられます。

          この多宝塔という塔の形式、中国には無く日本独自のものなのです。
          空海が高野山で大日如来を表す新しい塔を建立したのがその端緒で、その後
          小型化、簡略化して今も多く見る多宝塔になったと言われます。
          空海の足跡を追うかの如く、奈良からこの紀州にかけて古い多宝塔の多くが現存します。
          (国宝指定の6つの多宝塔の4つまで) 高野山金剛三昧院多宝塔、慈眼院多宝塔、
          根来寺大塔、そして長保寺。

          山腹の徳川家墓所に上る、その途中から多宝塔が俯瞰できます。
          相輪の背後に紀州の緑の山里が見えます。もう桜の時期も近いかと・・


























































徳川家墓所の石段



















紀州の山里に・・長保寺(2) 本堂

2014-03-14 | 古い神社や寺で
          参道の荒々しい石段の途中から、もう本堂の屋根が見えてきます。
          重厚で見事な形を持った屋根だと感じさせられます。
          本堂は鎌倉時代末期の延慶4年(1311)の建立。
          桁行5間、梁間5間、入母屋造、本瓦葺。正面に1間の向拝を持ちます。
          和様に禅宗様をとりこんだ折衷様の建築としては最も古いもののひとつと言われます。
          正面に立つと、入母屋屋根の反りかえった庇が翼を拡げた鳥のよう・・整った、
          美しい姿を見せるお堂です。正面、側面の桟唐戸の古色を帯びた木色も美しい。

          堂内から読経の声が響いてきます。そういえば、山門前には、バスが停まっていました。
          窓には「古寺巡礼の旅」の貼紙。こんな所でお経を聞けたらいいでしょうね・・
          本堂の中の厳かで幸せな空間を思ったものでした。

          本堂の右手には鎮守堂。昔は鎮守八幡宮と呼ばれたもの。
          一間社流造の小さな建物。(1295年の再建。国重文指定)屋根が美しい。
          右手奥、徳川家墓所の入口には御霊殿。(県指定文化財)やはり、屋根が美しい。



















































鎮守堂の屋根





徳川家墓所御霊殿
















紀州の山里に・・長保寺(1) 山門から境内へ

2014-03-08 | 古い神社や寺で
          和歌山県海南市の南、古の熊野詣の道、熊野古道にも近い山里に、
          慶徳山長保寺(ちょうほうじ) (天台宗)があります。
          平安時代中期の長保2年(1000)、今よりやや西方の地に創建されたと伝えられます。
          鎌倉時代末期に今の地に移り、当時から南北朝時代にかけて建立された本堂、
          多宝塔、山門(大門)が6、700年の時を越えて健在。いずれも国宝に指定されています。
          江戸時代、紀州徳川藩はこの寺を菩提寺と定め、厚く保護しました。境内の山裾は、
          藩主墓所としては日本最大と言われる徳川家墓所に占められています。

          JR紀勢本線、下津駅から約2k。バスもタクシーもありませんから、車が無ければ
          歩くしかありません。山里の道を行くと山裾に塔やお堂の屋根が見えてきます。
          道を曲がれば、正面に圧倒されるような山門が迫ります。
          一般に「大門」と呼ばれますが、門の構造上からは楼門、あるいは仁王門でしょうか。
          嘉慶2年(1388)の再建。三間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺、正面左右に金剛力士が立ちます。
          1階2階とも組物は三手先。2階部分は尾垂木が入り、それが門全体の壮大さを強調しているようです。
          和様を基調とし、要所に禅宗様の木鼻を配した南北朝期の特徴を持つと言われます。
          内部の小組格天井や透彫の彫刻も風格を醸し出しているように思えます。

          大門を出て長い参道を進むと、荒い割石の石段。    さて、次回は石段を上って本堂へ、そして・・






































































鷲羽山から瀬戸大橋を眺めると・・

2014-03-02 | 海からの声を聞く
          説明するまでもないでしょう・・本州(岡山県倉敷市)と四国(香川県坂出市)を結ぶ橋。
          瀬戸大橋とは10の橋の総称なのだそう。
          着工から10年、1988年に使用開始され、もう四半世紀経ったのですね。
          岡山県側からは、やはり鷲羽山から見るのが一番でしょう。
          そこから見えるのは、下津井大橋、そしてその向こうの特徴ある斜張橋の櫃石島
          (ひついししま)橋くらいまで。その先は霞んでいます。
          塩飽諸島の島々や、香川県の飯野山の三角形は遠い影ぼうし。
          橋の上を通る車も多いけど、橋の下を通る船もまた多い。
          人の生活の不思議な交差を見る思いがします。