前回にも書きましたが、四国のほぼ中央にあるこの寺。四国で最も古い時代
に開かれた寺であるにもかかわらず、四国八十八ケ所霊場にも含まれて
いません。何故でしょうか・・空海を含む仏教僧の修行の道は辺路、即ち海岸
沿いの路が主体であったということ。
豊楽寺薬師堂(本堂)。この四国最古の建造物。入母屋造、杮葺き(こけらぶき)。
このお堂が人の心を捉えてやまない最大の美点は、鳳凰が飛翔する姿にも
譬えられる、その屋根にあると思わせられます。
分厚い柿葺きの屋根の表の繊細で無限の拡がりに流れ行くような面。
軒面の材の積層の様を見れば、この屋根の造りが、如何に高度な技術と労力
の賜物であることに納得させられます。
お堂の側壁やとりまく勾欄には、長い時という霞みがかかったような朧を見る
ことができます。
一段高い場所にある、立派な若一王子宮にもお参りしました。高みから見ると
吉野川を越えて、対岸の山裾の針葉樹林の中に拡がる田畑と家が見えます。
この四国の中央の脊梁の山並のただ中にあって、遠い昔から寺に詣で、
月毎に祭り、暮らしてきた人々の姿をその心を見る思いです。
大町桂月がこの御堂を歌った句 「千年の鐘の音する青葉かな」
四国の山深く、千年を飛翔する薬師堂との心ときめく出会いでした。










に開かれた寺であるにもかかわらず、四国八十八ケ所霊場にも含まれて
いません。何故でしょうか・・空海を含む仏教僧の修行の道は辺路、即ち海岸
沿いの路が主体であったということ。
豊楽寺薬師堂(本堂)。この四国最古の建造物。入母屋造、杮葺き(こけらぶき)。
このお堂が人の心を捉えてやまない最大の美点は、鳳凰が飛翔する姿にも
譬えられる、その屋根にあると思わせられます。
分厚い柿葺きの屋根の表の繊細で無限の拡がりに流れ行くような面。
軒面の材の積層の様を見れば、この屋根の造りが、如何に高度な技術と労力
の賜物であることに納得させられます。
お堂の側壁やとりまく勾欄には、長い時という霞みがかかったような朧を見る
ことができます。
一段高い場所にある、立派な若一王子宮にもお参りしました。高みから見ると
吉野川を越えて、対岸の山裾の針葉樹林の中に拡がる田畑と家が見えます。
この四国の中央の脊梁の山並のただ中にあって、遠い昔から寺に詣で、
月毎に祭り、暮らしてきた人々の姿をその心を見る思いです。
大町桂月がこの御堂を歌った句 「千年の鐘の音する青葉かな」
四国の山深く、千年を飛翔する薬師堂との心ときめく出会いでした。









