枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

紀州、湯浅の街を歩く

2016-10-27 | 古いもの、昔の人
          和歌山県有田郡湯浅町。古くより熊野参詣の宿所として栄えたこの地。
          江戸時代に入り商業都市として発展、特に金山寺味噌から商品としての醤油が発祥した地
          として知られます。   
          江戸時代から明治にかけての街並みの一部は、伝統的建築物保存地区に指定されています。
          天保12年創業の醤油の店舗、職人蔵を見て、通リを歩きふと目に入った「甚風呂」の案内、
          幕末から昭和60年まで営業していたという銭湯に立ち寄って・・
          そこは、他所の一部の保存地区に見られるように、改修し造り過ぎの街並みではなく、
          生活の香りが色濃く残っているようなところ。それが好ましく思えます。
          心地よく、懐かしく感じさせる様々なものに出会えるところでした。




 醤油蔵の見える通り





 店舗、醤油、味噌























 醤油蔵

















 通りの奥へ





 甚風呂

















 歪みガラス






 お休み処











 街角















紀州根来寺、その2、大塔

2016-10-18 | 古い神社や寺で
          根来寺の中心、大塔は天文16年(1547)の建立。
          多宝塔の形式を踏襲しますが、下層は方5間、高さ35,1m、本瓦葺き。
          振り仰げばまさに圧倒されるほどの大きさです。
          この塔以外で大塔と呼ばれる塔は、1607年、大阪住吉大社神宮寺に建てられ、明治に香川県切幡寺に
          移設された二重塔形式の塔、それに昭和12年に再建された高野山金剛峰寺の多宝塔形式の塔。
          この他に、現存するものはないと思えます。
          根来寺の大塔が貴重なものであり、国宝に指定されている由縁でもありましょうか。
          多宝塔形式のこの塔は、真言密教の教義を形の上で表現したものと言われます。
          多くの多宝塔は、くびれた胴の上の上層のあの拡がりのなかに無限とも思える世界を
          感じさせますが、この大塔では白い亀腹の上に乗った下層の拡がりとその壮大さに
          より心を奪われるように、私には感じられました。
          壮大な塔との稀有な出会いでした。























































































紀州根来寺、その1、大門から大塔へ

2016-10-09 | 古い神社や寺で
          和歌山県岩出市根来にあるこの寺。
          高野山の学僧であった覚鑁(かくばん、後に上人、興教大師)が1130年高野山内に
          一堂を建て伝法院と称したことに始まるとされます。後、高野衆徒の間の不和により
          覚鑁は根来の地に移ります。
          寺はその後、戦国時代の政争に積極的に加担し盛衰を繰り返します。
          (根来衆と呼ばれた僧兵の活動は様々な物語に語られていますね・・)

          大門は一山の総門で、寺の中心より1kも東にあります。当時の広大な寺域を伺わせる
          ものでしょう。現存する門は江戸後期の1850年の再建、高さ16.88m。
          両脇の仁王も含め、力の籠った実に立派な二重門であると感じさせられます。(県指定文化財)
          長い参道を歩くと大伝法堂をはじめ寺の中心に導かれますが、多くの建物は戦国時代の
          戦火を罹り焼失、再建されたもの。当初より残るのは、大師堂と大塔のみです。
          大師堂は1391年の建立。弘法大師を祀る簡素で趣ある風情のお堂です。(国重文)
          大伝法院と大師堂の間で一際辺りを圧するのが大塔。(国宝)これは次回にも再掲します。
          緑溢れる境内を歩くと、古色の五輪塔や石仏に慰められる・・根来寺は素晴らしい寺です。




 大門























  大師堂





 大塔



































 石仏





 百日紅