枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

地図から消された島・・大久野島に残されたもの、その2

2011-02-22 | 古いもの、昔の人
          昭和38年、休暇村(当時は国民休暇村)に指定された島には、忠海町の努力に
          より、日本全国から1週間、10日と長期に滞在する観光客が集まるようになって
          きたようです。
          車の乗り入れを禁じた島内では、兎も伸び伸びとその数を殖やしています。
          島を訪れる人。昔ここで毒ガスを製造していたことを知らぬ人の数の方が圧倒的に
          多くなったことでしょう。
          私は、休暇村が開設され、船便が就航した当初、この島を訪れています。
          何と半世紀ぶりの島でした。その半世紀を経た記憶は驚くほど変わらずに現実の
          ものとして残されていました。

          発電場跡、砲台跡、毒ガス貯蔵所跡。島の陰に潜むそれらのものは、人間が築き
          残してきた罪悪の証です。
          そのものが今にある意味をしっかりと心の中に刻みたいと思ったものでした。
          前回に続いて、観測所、砲台の入口、楊弾井、砲台地盤、弾薬庫そして火炎放射
          の跡の残る毒ガス貯蔵所跡へ・・





















































島の南端の灯台、向こうは大三島















地図から消された島・・大久野島に残されたもの、その1

2011-02-18 | 古いもの、昔の人
          大久野島(おおくのしま)は、広島県竹原市忠海町の沖合い3kmにある
          周囲4.3kmの小島です。
          この島は明治30年、日露戦争に備えた芸予要塞の一角として、砲台などが
          設置されたことに始まり、昭和に入りいわゆる毒ガスによる化学兵器の生産施設
          が建設されるに至る、軍事一色の島でした。その存在は秘匿され、陸軍が発行
          した地図にもこの島一帯は空白であり、「地図から消された島」と呼ばれていたと
          いいます。
          太平洋戦争終結時に島内に残留していた大量の毒ガスはGHQにより海洋投棄、
          焼却、地中処分などにより処分されますが、除毒は不十分で、現在でも地中
          4~5mの土壌中には高濃度のヒ素が検出されると言われます。
          当時、施設で働いていた職員も中毒症状を生じ、忠海の病院では4500人もの
          患者の治療にあたってきたとも・・
          長年、この島を蝕んできた恐怖の負の遺産は、生き続けてきたのです。

          昭和38年、国民休暇村に指定された島には、日本全国から多くの宿泊観光客が
          訪れます。
          昭和46年に島に放たれた8羽の兎は野生化し、今や300羽以上とも・・島の何処
          を歩いていても駆け寄ってくるのです。
          そんな、過去と現在が隔絶されたような島です。島の海岸の陰に潜む、発電場跡、
          砲台跡、毒ガス貯蔵所跡など・・まず、発電場跡から見て回ります。
          ここは戦争末期、風船爆弾が製造された施設でもあったとか・・









































うさぎ










緩い時間の流れに・・鳥取県若桜駅

2011-02-06 | 古いもの、昔の人
          鳥取県八頭郡若桜町。鳥取市より南東に25kほど、
          若桜(わかさ)駅があります。
          昭和5年、国鉄若桜線の終着駅として開設されましたが、
          昭和62年、第三セクター若桜鉄道の本社駅として生きてきました。
          駅舎は木造平屋建、平成7年に改修されたものの、外観は昭和5年の
          当初の姿を保ったままだということです。
          構内には、蒸気機関車が置かれています。太平洋戦争当時若桜線も
          走ったこともあるというC-12型という機関車です。給水塔や転車台
          も残されていて操作も可能・・訪れる人の人気の的です。
          鉄の車体は光を保って、今にも動き出しそうな懐かしさです。

          若桜町は現在人口4000人ほど。鎌倉時代から続くといわれる
          城下町で、多くの寺や蔵造りの通りもみられます。
          駅の周りも春になれば、町の名の通り桜がいっぱい咲くそうです。
          今はまだ冬、たゆとうような緩い時間が流れているようでした。
          そんな、鳥取県若桜駅の構内でした。