吉野川の高地蔵を巡る小さな旅の一日、川島(吉野川市川島町)の「浜の地蔵」にまいり、
古くからの遍路道を辿って吉野川の畔を歩きました。
川島の浜の地蔵は天保14年、水難の防止と水没者の供養のため建立された高地蔵。
逞しく、魅力的な表情に出合えます。
台座に「天保癸卯四月念四日 脩流水灌頂干芳水高 造立導像予北為淹溺亡」と刻まれています。
(何となく意味はわかりますね・・)
地蔵の前の堤防の道を行きます。すぐあの懐かしい潜水橋(川島橋)が見えてきます。
急に過ぎた雨の後、静かな吉野川の流れは少し霞んで見えます。
川の畔の樹木の影、緑の斜面の黄色の菜の花・・
こんな美しい場所がこの世にあるだろうか・・と思うほどです。
川を眺める人、散歩する人・・に出合います。遍路の姿を探しますが、出会えません。
粟島の渡し跡、光明庵跡(何れも遍路には無銭)もここ。吉野川河口より28kの地です。
堤防の道をおり、弁天神社の参道に大樹に取り込まれた百度石を見ます。
それから、遍路道を進んで道傍の「西麻植の地蔵」にもまいり、藤井寺まで行きました。












古くからの遍路道を辿って吉野川の畔を歩きました。
川島の浜の地蔵は天保14年、水難の防止と水没者の供養のため建立された高地蔵。
逞しく、魅力的な表情に出合えます。
台座に「天保癸卯四月念四日 脩流水灌頂干芳水高 造立導像予北為淹溺亡」と刻まれています。
(何となく意味はわかりますね・・)
地蔵の前の堤防の道を行きます。すぐあの懐かしい潜水橋(川島橋)が見えてきます。
急に過ぎた雨の後、静かな吉野川の流れは少し霞んで見えます。
川の畔の樹木の影、緑の斜面の黄色の菜の花・・
こんな美しい場所がこの世にあるだろうか・・と思うほどです。
川を眺める人、散歩する人・・に出合います。遍路の姿を探しますが、出会えません。
粟島の渡し跡、光明庵跡(何れも遍路には無銭)もここ。吉野川河口より28kの地です。
堤防の道をおり、弁天神社の参道に大樹に取り込まれた百度石を見ます。
それから、遍路道を進んで道傍の「西麻植の地蔵」にもまいり、藤井寺まで行きました。











