東広島市志和の田園の奥深く、樹林の囲まれて並瀧(なみたき)寺があります。
金澤山(こんたくざん)千手院並瀧寺。733年、行基の開基と伝える古刹で、
今は真言宗御室派に属します。
江戸時代初期に衰えますが、中後期に本堂、金毘羅堂、楼門、鐘楼、仁王門、
庫裡などが再建され復興されます。
本堂は三間四方で唐様を主体とした様式。屋根の重厚な茅葺きは傷みが
目立ちますが、向拝の曲材を多用した軒や手挟に昔日の華やかさを伝えます。
楼門や鐘楼は下層を白漆喰で塗った竜宮造と呼ばれる中国風のもの。
仁王門を潜り、男坂、女坂の石段を上がれば、白い漆喰の楼門とその向こうに
茅葺の本堂が見えてきます。
この時を経た茅の屋根の優しさに出合うときの心の騒ぎは、ちょっと得難い
ほどのものです。
江戸時代、この地方の寺院は殆ど全てが茅葺であったと言うことです。
その当時の寺の姿を今に伝える貴重な遺産とも言えるでしょう。
その頃の寺は、斯様に素朴で、村の人々と一緒に在ったのだ・・
と思わせられる、そんな並瀧寺参りでした。










金澤山(こんたくざん)千手院並瀧寺。733年、行基の開基と伝える古刹で、
今は真言宗御室派に属します。
江戸時代初期に衰えますが、中後期に本堂、金毘羅堂、楼門、鐘楼、仁王門、
庫裡などが再建され復興されます。
本堂は三間四方で唐様を主体とした様式。屋根の重厚な茅葺きは傷みが
目立ちますが、向拝の曲材を多用した軒や手挟に昔日の華やかさを伝えます。
楼門や鐘楼は下層を白漆喰で塗った竜宮造と呼ばれる中国風のもの。
仁王門を潜り、男坂、女坂の石段を上がれば、白い漆喰の楼門とその向こうに
茅葺の本堂が見えてきます。
この時を経た茅の屋根の優しさに出合うときの心の騒ぎは、ちょっと得難い
ほどのものです。
江戸時代、この地方の寺院は殆ど全てが茅葺であったと言うことです。
その当時の寺の姿を今に伝える貴重な遺産とも言えるでしょう。
その頃の寺は、斯様に素朴で、村の人々と一緒に在ったのだ・・
と思わせられる、そんな並瀧寺参りでした。









