京都の西北、清滝川に沿って入った栂尾(とがのお)の高山寺(こうざんじ)。
その独特の世界に魅せられて、幾度となく通う人が多い寺と聞きます。
高山寺の実質の開基とされるのは、鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人。
現在は真言宗系の単立の寺となっていますが、建永元年(1206)
後鳥羽上皇からこの地を与えられ華厳宗の道場とします。その時、華厳経の
中より採った句「日出先照高山之寺」(ひいでてまずてらすこうざんのてら)
の上皇直筆の額を下賜されたという、・・これが寺名の由来。
今に残る唯一の建物が石水院(国宝)。鎌倉初期の寝殿造りの遺構と言われます。
あの国宝の鳥獣戯画(紙本墨画鳥獣人物戯画4巻)の在所としても有名ですね。
(今は東京、京都の国立博物館に寄託)
石水院に入るとまず西側広縁の拝所。中央に善財童子の像。蔀戸を開け
放った開放感極まりない空間に驚かされます。その東、幅広の縁を前に南面
する一部屋。座れば全面の緑、清滝川を挟んで向山の姿、それに飲み込ま
れるような思いなのです。(これは少し前、今は目に沁む紅葉でしょう。)
さり気なく置かれた絹本仏母像(国宝)や菩薩像にもまた、虫食いの柱や
縁の節目からも囁くような多くの言葉が聞こえてきたような・・
静寂のなかの高山寺、石水院でした。












その独特の世界に魅せられて、幾度となく通う人が多い寺と聞きます。
高山寺の実質の開基とされるのは、鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人。
現在は真言宗系の単立の寺となっていますが、建永元年(1206)
後鳥羽上皇からこの地を与えられ華厳宗の道場とします。その時、華厳経の
中より採った句「日出先照高山之寺」(ひいでてまずてらすこうざんのてら)
の上皇直筆の額を下賜されたという、・・これが寺名の由来。
今に残る唯一の建物が石水院(国宝)。鎌倉初期の寝殿造りの遺構と言われます。
あの国宝の鳥獣戯画(紙本墨画鳥獣人物戯画4巻)の在所としても有名ですね。
(今は東京、京都の国立博物館に寄託)
石水院に入るとまず西側広縁の拝所。中央に善財童子の像。蔀戸を開け
放った開放感極まりない空間に驚かされます。その東、幅広の縁を前に南面
する一部屋。座れば全面の緑、清滝川を挟んで向山の姿、それに飲み込ま
れるような思いなのです。(これは少し前、今は目に沁む紅葉でしょう。)
さり気なく置かれた絹本仏母像(国宝)や菩薩像にもまた、虫食いの柱や
縁の節目からも囁くような多くの言葉が聞こえてきたような・・
静寂のなかの高山寺、石水院でした。











