枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

静寂の中の多くの言葉・・京都栂尾、高山寺石水院

2010-11-28 | 古い神社や寺で
          京都の西北、清滝川に沿って入った栂尾(とがのお)の高山寺(こうざんじ)。
          その独特の世界に魅せられて、幾度となく通う人が多い寺と聞きます。
          高山寺の実質の開基とされるのは、鎌倉時代の明恵(みょうえ)上人。
          現在は真言宗系の単立の寺となっていますが、建永元年(1206)
          後鳥羽上皇からこの地を与えられ華厳宗の道場とします。その時、華厳経の
          中より採った句「日出先照高山之寺」(ひいでてまずてらすこうざんのてら)
          の上皇直筆の額を下賜されたという、・・これが寺名の由来。
          今に残る唯一の建物が石水院(国宝)。鎌倉初期の寝殿造りの遺構と言われます。
          あの国宝の鳥獣戯画(紙本墨画鳥獣人物戯画4巻)の在所としても有名ですね。
          (今は東京、京都の国立博物館に寄託)

          石水院に入るとまず西側広縁の拝所。中央に善財童子の像。蔀戸を開け
          放った開放感極まりない空間に驚かされます。その東、幅広の縁を前に南面
          する一部屋。座れば全面の緑、清滝川を挟んで向山の姿、それに飲み込ま
          れるような思いなのです。(これは少し前、今は目に沁む紅葉でしょう。)
          さり気なく置かれた絹本仏母像(国宝)や菩薩像にもまた、虫食いの柱や
          縁の節目からも囁くような多くの言葉が聞こえてきたような・・
          静寂のなかの高山寺、石水院でした。

















































































二十四の瞳を想う・・その2、もう一つの分教場

2010-11-21 | 古いもの、昔の人
          小豆島町田浦の「岬の分教場」とそっくりの校舎がもう一つあるのです。
          田浦地区から更に南へ600m瀬戸内海に面した輝くような海辺にあります。
          ここは、昭和62年2度目の映画化でロケ用のセットが組まれた場所。
          監督は朝間義隆、大石先生は田中裕子です。
          ロケのオープンセットは、改築されて、今は映画村として、多くの観光客が
          訪れる場所となっています。
          木造校舎とともに男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋・・
          分教場の前の道を走ったボンネットバスまで。
          それに、この一角には、映画館や映画記念館、壷井栄記念館まであります。
  
          もう一つの分教場の教室に入ると、窓から輝く瀬戸内海の海が飛び込んで
          きます。この分教場の子供達は、毎日この海を眺めていたのでしょうね・・
          二度目の映画化で、監督が「瀬戸内海べりの一寒村・・」という原作の言葉
          に拘った気持ちが分かるようです。
          やはりここでも、幸せだった子供達と大石先生の姿を想い浮かべて
          しまうのですね。











































































二十四の瞳を想う・・その1、小豆島 岬の分教場

2010-11-17 | 古いもの、昔の人
          「二十四の瞳」は壷井栄が昭和27年に発表した小説。昭和の戦争の前の
          時代を生きた12人の児童と女性教師の物語。
          小説の中では「瀬戸内海べりの一寒村・・」と語られるだけで、小豆島とも
          その何処とも特定されていないけれど、この学校がそのモデルだと言われて
          きました。
          小豆島町田浦にあった苗羽小学校田浦分校(旧田浦尋常小学校)。
          明治36年開校、昭和47年閉鎖されるまで70年間、村の小学校として使用
          されました。その校舎が、閉鎖された時の教室の机や椅子もそのままに
          残されているのです。
          二十四の瞳の物語を私たちの心に忘れ得ぬものとしたのは、その映画化の
          役割が大きいのではないでしょうか。
          最初の映画化は昭和29年、木下恵介監督によるもの。大石先生は高峰秀子・・ 
          映画館の中で涙が切れることがなかった想いは忘れられません。
          この映画はこの校舎で撮影されたのです。
          廊下の板の目も、教室の机に投ずる窓の陽も、二重写しの幻影のなかで
          あの物語が蘇ってくるようです・・