枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

青い海、白い灯台・・関崎にて

2016-03-26 | 海からの声を聞く
          大分県佐賀関半島の先端、関崎に行きました。
          岬に立てば、右手に島(高島)そして直前方に四国の佐田岬が見えます。
          その距離は14kmだと。佐田岬にある風力発電塔が微かに見えています。
          間は豊予海峡、関あじ、関さばの魚場としても有名ですね。
          真っ白な姿を見せる関崎灯台は明治34年7月の完成。レンズはイギリス製の
          大型フレネルレンズ。大正7年4月、向いの佐田岬灯台が完成。このレンズも
          そちらに移設されたとのこと。
          この海峡は神武東征の神話の「速吸門」に因んで「速吸瀬戸」(はやすいのせと)
          とも呼ばれます。もう一つ歴史との縁。灯台のすぐ近くに地蔵と墓があります。
          8世紀、役小角が航海安全を祈願して仏を祀ったという伝説があるようです。
          見ると、地蔵は劣化が進んでいるものの通常の舟形地蔵です。後代に伝説に
          因んで祀られたものでしょう。でも、このためにこの岬は地蔵崎とも呼ばれています。

          長い時間、高みに座って海峡を眺めていました。多くの船が通ります。
          ここは外洋から瀬戸内海に入る唯一の西の門でもあるのです。






































































昔日の面影・・臼杵磨崖仏

2016-03-17 | 古いもの、昔の人
          一般には「臼杵石仏」と呼ばれています。
          阿蘇山の火砕流が熔結した凝灰岩に高肉彫とされた4群(ホキ石仏第1群、ホキ石仏第2群、
          山王山石仏群、古園石仏群)50駆を超える石仏群です。
          石仏の造立年代を示す史料は無く、その作風から多くは平安時代後期、一部
          (ホキ石仏第1群、地蔵十王像)は鎌倉時代の作と推定されています。
          風雨にさらされ続けた石仏は剝落、損傷が進んでいます。また、昔からの参拝の道は
          大雨の時は川と変わり石仏を削りとってきました。多くの石仏はその下半身を失っています。
          現在は石仏群を覆う覆堂も造られ、排水設備も設けられて、その保存に懸命な努力が
          続けられています。この度、訪れた時も、最も有名なあの大日如来がある古園石仏群は
          保存工事中で見ることができませんでした。
          目を凝らせば、石肌の着色は驚かされるほどに残っており、失われたテ足を補って華麗でも
          あった往時を想像するのです。
          私は、50年前、その後にも一度ここを訪れています。石仏群とその周囲の環境の
          変化には驚きを感じるのみです。それはその間の自らの変わりようも加わったものでしょうけれど・・




 田圃のなかの鳥居。石仏群の山上に祀られる日吉神社の参道鳥居であるかも・・後方は石仏のある山





 
 ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像





  ホキ石仏第2群、阿弥陀如来 他像





 ホキ石仏第2群、阿弥陀三尊





 ホキ石仏第1群、阿弥陀三尊





 ホキ石仏第1群、地蔵菩薩、十王像





 ホキ石仏第1群、釈迦如来





  山王山石仏、中尊の如来





  山王山石仏、中尊の如来





 山王山石仏、脇侍の如来