大分県佐賀関半島の先端、関崎に行きました。
岬に立てば、右手に島(高島)そして直前方に四国の佐田岬が見えます。
その距離は14kmだと。佐田岬にある風力発電塔が微かに見えています。
間は豊予海峡、関あじ、関さばの魚場としても有名ですね。
真っ白な姿を見せる関崎灯台は明治34年7月の完成。レンズはイギリス製の
大型フレネルレンズ。大正7年4月、向いの佐田岬灯台が完成。このレンズも
そちらに移設されたとのこと。
この海峡は神武東征の神話の「速吸門」に因んで「速吸瀬戸」(はやすいのせと)
とも呼ばれます。もう一つ歴史との縁。灯台のすぐ近くに地蔵と墓があります。
8世紀、役小角が航海安全を祈願して仏を祀ったという伝説があるようです。
見ると、地蔵は劣化が進んでいるものの通常の舟形地蔵です。後代に伝説に
因んで祀られたものでしょう。でも、このためにこの岬は地蔵崎とも呼ばれています。
長い時間、高みに座って海峡を眺めていました。多くの船が通ります。
ここは外洋から瀬戸内海に入る唯一の西の門でもあるのです。
岬に立てば、右手に島(高島)そして直前方に四国の佐田岬が見えます。
その距離は14kmだと。佐田岬にある風力発電塔が微かに見えています。
間は豊予海峡、関あじ、関さばの魚場としても有名ですね。
真っ白な姿を見せる関崎灯台は明治34年7月の完成。レンズはイギリス製の
大型フレネルレンズ。大正7年4月、向いの佐田岬灯台が完成。このレンズも
そちらに移設されたとのこと。
この海峡は神武東征の神話の「速吸門」に因んで「速吸瀬戸」(はやすいのせと)
とも呼ばれます。もう一つ歴史との縁。灯台のすぐ近くに地蔵と墓があります。
8世紀、役小角が航海安全を祈願して仏を祀ったという伝説があるようです。
見ると、地蔵は劣化が進んでいるものの通常の舟形地蔵です。後代に伝説に
因んで祀られたものでしょう。でも、このためにこの岬は地蔵崎とも呼ばれています。
長い時間、高みに座って海峡を眺めていました。多くの船が通ります。
ここは外洋から瀬戸内海に入る唯一の西の門でもあるのです。