枯雑草の写真日記2

あの懐かしき日々を想いながら・・つれずれの写真日記です。

平安の音階を聞く・・醍醐寺 金堂 五重塔

2014-07-12 | 古い神社や寺で
          京都市の東辺、伏見区の醍醐寺(真言宗醍醐派総本山)。
          弘法大師の孫弟子、理源大師により貞観16年(874)、笠取山山上に
          創建されたと伝えます。そこは当時、山岳信仰の盛んな霊山であったといいます。
          後に醍醐山と呼ばれるこの地は、後に上醍醐と呼ばれ、修験の道場として発展します。
          そして、山裾にも寺域を拡大し、多くの伽藍が建てられ、下醍醐として隆盛をみるようになります。
          戦国の時代の荒廃の後、歴史上著名な豊臣秀吉の「醍醐の花見」以降再興され、
          今に見るような広大な寺域と多くの堂宇を有する大寺となったと言われます。
          多くの堂宇のうち、特に目を惹くのはやはり、金堂と五重塔(いずれも国宝)でしょう。
          金堂は慶長4年(1599)紀州湯浅の満願寺より移築されたもの。12世紀後半の建物と
          言われますが、移築時に大改造が加えられたようで、桃山時代風の華麗な屋根が目を惹きます。
          寺の本尊である薬師如来(三尊)を安置。
          金堂のやや奥、右手の広い敷地に独り立つ五重塔が見えます。天暦5年(951)の建立。
          醍醐寺創建当時より残る唯一の建物です。また、京都府内に現存する最古の建物でもあるようです。
          塔の高さ38m。その上の相輪は13mで塔全体の1/3を占めます。創建以来多くの修理
          が行われたようで、必ずしも創建時の姿を忠実に伝えているとは言えないのかもしれませんが、
          仰ぎ見ればそのバランスのとれた全身、木組みの力強さ、屋根の瓦の並びと反りの美しさ・・
          どこをとっても、稀にみる見事な五重塔と思わせられます。

          私にとっては、何度目かの醍醐寺へのお参り。この度も、広大な境内の多くの堂宇に
          心を置かされた思いでしたが、特に五重塔の前に立ち、暫し離れ難い感動を味わったものでした。
          五重塔はその全身の姿が最も美しい。それはその通りでしょうが、この塔は、その木組み
          と瓦屋根の奏でる見事な音階が、その部分部分からも聞こえてくる・・
          そんな気がしました。それ故に・・あえて塔の部分の写真を多く並べさせていただきます。


















































































緑のもみじの葉陰に・・法界寺阿弥陀堂

2014-07-06 | 古い神社や寺で
          京都の街の南東、宇治に近い伏見区日野の緩やかな山裾に、東光山法界寺
          (真言宗醍醐派)があります。
          平安時代の後期、日野資業が薬師如来を祀る寺を開いたと伝えられます。
          今も山門の前に「ひのやくし」と刻まれるように、薬師信仰の寺ですが、
          境内に国宝の阿弥陀堂と阿弥陀如来像を有することでも知られます。
          平安時代に興った浄土信仰の流行や末法思想の影響で、各地に建てられた
          典型的な阿弥陀堂の一つといわれます。
          この地は、後に浄土真宗を開いた、日野一族出身の親鸞の生誕地でもあります。
          現存の阿弥陀堂は、鎌倉時代初期の建築。方五間、屋根は宝形造、檜皮葺き。
          周囲一間の廂を付すため、一見方七間に見える。
          内部は折上組入格天井のもと、2.8mの阿弥陀如来が座します。
          平等院鳳凰堂の本尊に近い、定朝様式のふくよかな表情の仏。
          内陣の漆喰壁に描かれた天人像は、法隆寺金堂壁画焼失後最古のものとして貴重。

          京都地下鉄東西線石田駅から、1k強の道を歩いて門前に。
          広くはない境内、山門からも阿弥陀堂が見えています。堂の扉を開けてもらい
          阿弥陀仏を拝します。
          京都の多くの華やかな寺とは離れ、限りなく静かで豊かな空間でした。
          お堂の裏は被さるような緑のもみじ。その葉陰にある蔀戸や扉の古い色を
          見て、輝く回廊の上を歩かせていただきました。